なんだ、みんな死ぬまで青春させられてるじゃん

多分僕はやっぱり「分かるようになる」プロセスが好きなのだと思います。

「分かろうとする」ではなく、試行錯誤していると「分かってくる」という感覚です。

「分かろうとする」というのはどうしても意識的になります。焦りが出たりします。視野が狭くなっていきます。

ある程度分かろうとすることも必要なのですが、結局分かろうとすると、テキトーなそれっぽいもので納得させようとしてしまい、探求が打ち止めになることもあります。

「分かろうとする」というのは「分からない状態から逃げたい」という消極的な感情から起きるのかもしれません。混沌と隣り合わせになっている状況から逃げ出したい。でも、実際はやればやるほど混沌に入っていきます。

なので、分かるようになるためには、ある程度の混沌に対する耐久力、精神的な余裕みたいなものが必要になってくるんですね。

言葉を覚えていない赤ちゃんは、まわりの大人たちが話している会話についていけないからといって怒り出すことはありません。ただただ黙って大人たちの会話を聞いて、言葉が自然と分かるようになってきます。

「分かるようになる」というのはこういうことだと思うのです。言葉を理解できていない赤ちゃんにとっては、大人たちの会話は「よく分からないもの」つまり「混沌」だったはずです。しかし、赤ちゃんはそんな混沌と隣り合わせにいながら、自然と「マンマ」とか「アンパンマン」と言葉を発するようになります。

あなたも、今何かしらの言語を習得しているはずですし、何かしら言葉を理解しているはずです。何かしら言葉を発しているはずです。

つまり、あなたも「自然と分かるようになる」プロセスを経て、今があるはずなのです。あなたも「混沌」と隣り合わせの状況を過ごしてきたはずなのです。

「分からない状況」から逃げたくなるのは、逃げられるという選択肢を獲得したからです。その選択肢を得るためにも過去のあなたは何かしらの混沌と向き合ってきたのです。

だから、今がキツくても、大変でも、既にあなたは「大きな混沌」と向き合う力が備わっているはずなのです。

「分かってくるようになる楽しさ」のようなものも体験しているはずなのです。

混沌と一緒に過ごす時間(プロセス)さえ楽しむことができたら、もう無敵です。怖いものはありません。

しかし、この混沌と一緒に過ごすにも健全な心身が必要です。赤子のようなエネルギーが必要です。まず、英気を養うことも大事です。たくさんもらって元気になったら、それを与えればいいんです。もらえるうちにいっぱいもらっておきましょう。

 

死すら青春かも

 

分からないものに向き合うというのは何かこう、青春っぽさがあるんですよね。

ぎこちない、整っていない、未完成な状態…そういった「ほどよい混沌」が、青春を作る材料になるのかもしれません。

青春はよく「甘酸っぱい」と表現されます。甘いだけじゃないんです。酸っぱいんです。「酸いも甘いも嚙み分ける」とか「辛酸を嘗める」とか言いますが、酸っぱいものは「辛いこと」=「混沌」なのです。

「よく分からないこと」が出てきたら、青春のチャンスです。そして、そんなチャンスはいっぱい転がっています。

「自分がこの先どうなるかわからない」という状態が一番の青春チャンスだと思います。死ぬ直前ってもしかして、すごい青春なのかもしれない。そうなると、死ぬまで僕らは青春を全うしてることになるし、どうあがいても青春をさせようとしてくるわけか。

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。 商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。詳しくはこちらから。

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