反面教師はアンチテーゼです。このアンチテーゼを原動力にしていると、テーゼ(前提)が崩れると途端に原動力が失われてしまうことがあります。
「母親が強引に話を進めたり、干渉してくるところが嫌い」で、「自分はそうならないようにしよう」と反面教師にすればするほど「母親の嫌いなところ」のイメージが強く固定されるんですね。
「嫌いな部分」というイメージが、ある意味「支え」になっているわけですね。「嫌なところ」を前提に反面教師は成立している。だから、実はこれは「嫌いな人」に対する「依存」や「甘え」なんですね。
「母親は実は強引じゃないかもしれない」
「本当は弱くて寂しい人なのかもしれない」
と考えることができれば、少しずつイメージが壊れていくのかもしれません。
親は親で「うちの子はいつまでも未熟で何もできない」というイメージを壊すことができれば、子離れが進むのかもしれません。
親離れ、子離れといった「独立」というものは、その人物に対する「イメージ」を壊すことで成立するのかもしれません。
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そのイメージを固定したいということは、手放したくない何かがあるのでしょうね。
にしけい