「興」というのは、何かと何かが混ざって無意識的な特定の方向性が発生することを指します。
混沌から上昇する何かが生まれるまでの過程を「興る」と言います。「おこる」は「怒る」と「起こる」も似たようなニュアンスになります。何かと何かが混ざって特定の方向性が発生します。
左手と右手を合わせて合掌してみてください。指先が上に向かうはずです。これが「興」です。交わって上に向かうエネルギーです。
つまり「興味が湧く」という状態は、あなたの中の何かと外部にある何かが混ざり合わさって発生します。混ざり合わさるということは「親和性」があったり「親しみ」「近さ」があります。
あなたが興味をもてないものは「遠すぎるもの」だったりしますし、あなた自身が「もう嫌だ」と線引きして親しみたくないものだと、興味が湧きません。
とは言いながらも、「もう嫌だ!」と拒絶すればするほど、それは近いところにあります。
1キロメートル離れた人に「いや!近づかないで!」と叫びません。グッと近づかれて、腕を掴まれたときに「いや!近づかないで!」と叫び声を上げるはずです。
つまり「もう嫌だ!」と思うものというのは意外と近いところにあります。近いところにあるということは、興味が湧く可能性があるんですね。
「親やすさ」とか「近さ」というのは興味をもってもらうには、非常に役に立ちます。親近感が湧くと混ざりやすくなるんです。とっかかりというか、きっかけというか、相手の中にある「共感ポイント」みたいなものを提供できれば、混ざりやすくなり「興味」が湧いてきます。
例えば、あなたは「酸化インジウムスズについて理解を深めませんか?」と突然言われても「ん?」ってなりますよね。
「酸化インジウムスズ」が聞き慣れない「遠すぎる言葉」だと感じたら、興味を持てないですよね?
でも「スマホのタッチパネルが反応する仕組みについて理解を深めませんか?」と言われると、身近なもの(スマホ)についてだから、ちょっと興味が湧いてくるはずです。
なので、まず「興味をもってもらう」ためには「近づく」必要があります。
逆に「何にも興味が持てない」という状態になっているときは、近くに何も無い状態であると言えます。
人身事故で遅れてる中央線 人達は苛立つ
遠くの銃弾なんかより 目の前の事実が真実
ひらりひらり舞う紋白蝶 車にひかれて散った
テレビの中の銃声なんかよりも リアルに感じられたMucc/「メディアの銃声」の歌詞 より
でも、本当に「近くに何も無い」という状態は存在するのでしょうか?
例えば、「私はもう恋愛には興味がない」と言ったとします。
「恋愛」というものが遠すぎる世界のものだと、キーワードとして頭の中にすら浮かんできません。
先ほどの「酸化インジウムスズ」が何なのかすらよくわからないものだったら、「私は酸化インジウムスズに興味はない」という言葉は出ないはずです。遠すぎると興味があるかどうかすら判断できないはずです。
それなりに近くにあって、認知しているからこそ「私は興味がない」と言えるのです。
つまり、あなたがもし「私は◯◯には興味はない」と口走ったとき、あなたは◯◯を何かしらの理由で意図的に興味の対象から除外しているだけなのです。
除外している理由の多くが「傷つきたくない」「失敗したくない」といった消極的な理由である場合が多いです。
もし、あなたが「◯◯なんて興味がない」と言ってしまったことに気づいてしまったときに、この記事を思い出してください。
本当はその◯◯は「興味が湧くかもしれないこと」なんです。
むしろ、めちゃくちゃ興味がありすぎて、それに溺れてしまうと、今の自分を保てなくなるかもしれない、自分が自分じゃなくなるかもしれない…といった「自分を保つための防波堤」のような言葉として「◯◯は興味がない」と言っている可能性が高いのです。
理性という名の防波堤…「理性」と言えればカッコいいですけど、実際は「今までの自分を守りたい」という気持ちだったりします。
興味や好奇心は打算なき強烈なエネルギーを生みます。これを使わない手はありません。
本当に興味がないんですか?
本当は興味があるんじゃないんですか?
もうあなたが興味をもてるものは、近くに転がっているはずです。
にしけい