何のために言葉を使うのか。何のために意識を使うのか。

なぜやりたいこと、なりたいものがあるのなら、わざわざ質問するんですかね?

なぜ言葉にするのでしょう?なぜ宣言するのでしょう?

箸で唐揚げを口に運ぶときに「唐揚げを口に運んでいいでしょうか?」って、質問しないですよね。

「唐揚げを口に運びます!箸を使って!」って、宣言しないですよね。

何か目的とする状況や願望があるのであれば、何も言わず行動に移すだけですよね。箸で唐揚げを口に運ぶように、黙って無意識にやるだけだと思うんですよね。

なんでわざわざ言葉にして、言葉で考えて、迷って、苦しんで、怖気付くんだろう。

宣伝するのはわかるんですけど、宣言するのは何なのでしょうか。

夢を語って夢が叶うならいくらでも語りますし、クヨクヨ泣き言を言って状況が変わるならいくらでも泣き叫びますし、不平不満を言って生きてる世界が一変するなら5000億回不平不満を言いますけど、そうじゃないですからね。

厳密に言えば、「そうじゃない」とは言い切れないですけど、確率的にすごく低いと思うんですよ。すごく低い確率に時間やエネルギーという資源を賭け続けるって、ギャンブルですよね。しかもかなり勝つ見込みの低いギャンブルです。

負ける勝負をし続けるってけっこうきついと思うんですけど、確率が低いことに賭け続けられるということは本当は余裕があるのだと思います。余裕がなかったら必死で1%でも勝率を上げる行動を取ると思うんですよね。

何のために「言葉」を使うのか。何のために「意識」を使うのか。

にしけい

 

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。
商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。

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