信じていたものに裏切られたらキツいよね
自分が盲信していたものが何か思っていたのと違っていたってことありますよね。
予想、期待、信頼、思い込み…盲信的なまでに信じていたものに裏切られる結果になること…僕もよくあります。
僕の場合は支持していた占いの理論や法則が全く当たらなかったとか違っていたというパターンですね。かなりへこみます。
それと同時にその理論を信じて占ってきた人たちに申し訳ない気持ちになったりもしますし、突然「じゃあどうしたらいいんだ」と指針を失ってしまったような気持ちになることもあります。
この世界に「絶対」というものはないとわかっていながらもやっぱりどこかそういったものをよりどころにしないと、踏み込めない場面もあります。自分の物差しというか、基準軸があった方が非常に効率的です。
こういった「前提」とか「根本」が崩れると、「じゃあ今までのは何だったんだ!」と怒りたくなったり、悲しくなったり、それを信じていた自分を疑いたくなります。
逆にもしかしたら気づかないうちに自分自身もそんな誰かの期待や信頼を裏切っていることもあるかもしれません。いや、普通にいっぱいありそうな気がします。
(こればかりは気にしだすと何もできなくなるのでやめておきますが…)
しかし、こうやっていろいろ痛い目を見ていくことで培われるものもあり、より真理に近づける…と、僕は信じています。(もしかしたらこの考えすら裏切られるかもしれませんが)
とりあえず今のところ僕は「一度信じてみる」というスタンスで生きています。
というより、信じてみないと前に進めないのです。
「明日がくること」を信じていないと、未来の話はできません。約束もできません。ヤケになって好き放題やって一人で世紀末だぜヒャッハー!みたいなことになるかもしれません。
「明日はこないかもしれない」と疑うことも大事なのですが、信じないと何も始まりません。
信じる練習も必要
こうやって人々は無意識のうちに何かを信じて生きているのですが
これも「信じる練習」をしないと、なかなか上手くなれません。明日がくることを信じるのはみなさんたくさん練習してきたので上手になっていると思うのですが
例えば「明日から急に自分はモテモテになる」ということを信じるにはやっぱり抵抗があります。
でも、これも練習なのです。積み重ねなのです。
「モテモテになる」と信じて行動してみたら、全くダメかもしれません。そこで信じることをやめようと思うかもしれません。
しかしここで「明日知らない人、1人に声をかけることができる」と、少し具体的でハードルを下げた条件を信じてみることにします。
そしてそれを実際に達成できれば、小さな信用が生まれます。自分への信用です。
傷つかないことの方がチャンスロス
傷つくこともあります。しかしこれはチャンスでもあるのです。
占いに関して言うと、盲信していた法則や理論が違っていたのであればチャンスです。
じゃあ「どうすれば当たるのか?」を考えるきっかけ(チャンス)が生まれるのです。
その悔しさや怒りが強ければ強いほど、チャンスなのです。それが原動力になるからです。
長年想いを寄せてきた人に告白したところフラれた…自分のこの10年は何だったんだ…と喪失感や悲しみに暮れることもあるかもしれません。でも、これはチャンスなのです。
相手や自分側の条件を変えて再度アタックしてみたらどうでしょう。全く結果は同じになるでしょうか。
裏切られないと「条件を変えよう」という考えが発生しません。傷つかないと「変化」は起こせません。
むしろ「傷ついている」「悲しい」「悔しい」「なんで自分だけ!」という感情が吹き出ているのであれば変化のチャンスなのです。
試してない条件の方が圧倒的に多い
「自分に自信がない」と言っている人たちの共通点はトライアンドエラーの回数が圧倒的に少ないことです。
トライアンドエラーというからには「条件」を変えなければならないのです。
同じ条件で同じことを繰り返しても同じ結果になります。ある意味科学です。でも微妙に条件を変えれば新しいデータが得られます。
とにかく何かを達成する上ではトライアンドエラー、試行錯誤していくしかありませんし、これができれば自然と自信はつきます。
「えーでも他にどんなことを試したらいいの?全然思いつかない」という人は単純に自分や現状を変える気がないだけです。
そんなの試したことのないパターンの方が圧倒的に多いに決まってます。
何か条件や方法を変えないと、最初のクリボーに当たり続けて死に続けるマリオと同じです。
ジャンプしたらクリボーをかわして先へ進めるのに、ずっとクリボーに当たり続けるなんて正気の沙汰ではありません。そんなマリオは狂ってます。
まだまだ試していないことはいっぱいあるはずです。
知らない世界はいっぱいあるはずです。
もっと「自分」を試してみましょうよ。
にしけい