「ジョジョの奇妙な冒険第7部スティール・ボール・ラン」にこのようなセリフがあります。
テニスの競技中…ネットギリギリにひっかかってはじかれたボールは…その後ネットのどちら側に落下するのか…?
誰にもわからない そこからは「神」の領域だ
©️荒木飛呂彦/集英社 ジョジョの奇妙な冒険第7部12巻より引用
どちら側に落下するのか?
それは「無限」の領域
©️荒木飛呂彦/集英社 ジョジョの奇妙な冒険第7部12巻より引用
ジャイロツェペリの回想シーンには度々父親が出てきますが、毎回印象的な言葉を残します。その言葉の一つがこれです。
選択肢が極限まで減り、一箇所に凝集されていくと「点」になります。この「点」が、テニスボールがどちら側に落ちるかわからない状態です。点は無次元の世界で、ここでは「神の領域」と表現されています。この点の領域に到達するためには、必ず凝集作用が発生します。
ピンチ・トラブル・怪我・事故・病気といった状態は選択肢が制限される状態のことを指します。凝集作用が働いているわけです。特定の方向性に凝集されていくと、点に向かいます。この「点」は「方向転換点」でもあります。この凝集と方向転換は日々様々な場面で発生しています。
日常的に行われている方向転換点は「睡眠」です。眠りに落ちる。無防備で無意識な状態になります。また、人間の肉体は必ず「死」を迎えます。輪廻転生や生まれ変わりが存在するかどうかはさておき、死によってこれまで継続していた状態が方向転換に向かいます。寝ている状態と同じで、「点」に至っていると人間の意思や行動は不可侵です。
冒頭のジャイロツェペリの父からの言葉に対して、ツェペリは死の間際に次のような答えを見出します。
結局のところだ…
結局のところネットにはじかれたテニスボールは
どっち側に落ちるのか誰もわからないそんな時こそ…居て欲しいのが「女神」だ…
そうすりゃあボールがどっち側へ落ちたとしても…
…納得がいくからな
©️荒木飛呂彦/集英社 ジョジョの奇妙な冒険第7部21巻より引用
ツェペリは度々「納得」という言葉を口にします。
納得の類義語に「話をのむ」という言葉があります。「相手の話をのむ」といった具合で使われます。また、理解力や熟達が早いことを「飲み込みが早い」と表現したりします。「飲み込む」ということは、外部にあるものと自分自身が一体化してひとつになっている状態を指します。
「納得がいかない」という状態は、特定の事象に対して拒絶している状態です。線を引いて分離された状態です。「納得がいく」というのは特定の出来事のジャッジ、もしくはジャッジする自分を受け入れることを指します。境界線が取り払われた状態。無境界で無差別な状態です。
ツェペリは「女神」と表現していますが、「納得」と「女神」をつなぐ共通イメージが「同化」であり「無境界性」なのではないでしょうか。女神は慈愛や母性といったイメージもあり、母親と胎児が限りなく「一体化」している状態も同化や無境界性に近い状態です。また、母親は子を産みます。無だった状態に方向性を与えてくれる存在でもあります。一度無になったあとに新たな方向性が与えられるのであれば、無になったことにも意味がある、つまり無に到達したことも救われる(報われる)ことになります。それが「納得」につながるのだと思います。
あなたが何か研究したり、探究したものが、生きているあいだに他者から評価されなかったとしても、それが全く別の形になって生み出されて、新たな可能性につながるとしたら、あなたの行動や探究に意味が出てくるかもしれません。それが希望であり、納得であり、救われることにつながるのではないでしょうか。
ジョジョに出てくるツェペリ一族は代々、「凝集→無次元」という役割を持っています。この無次元になった状態をジョースター家が新たな形で方向性を見出し、希望に変えていくのです。
すごく日常的なものに例えると、ヘトヘトで眠落ちする直前まで頑張って、もう限界だ…というところで眠りについてしまうのがツェペリ家です。しかし、翌朝起きるとスッキリして、前日までのアイディアとは全く違うことを思いつき、それが功を奏す…という流れを引き受けるのがジョースター家という感じです(もちろん前日までの努力があったからこそ思いついたアイディアです)。
最終的に陳腐な例えになってしまったのですが、この意思(記事)を誰かが別の形でアウトプット(反応)してくれることで、この記事は救われることになります…
徹夜と仕事の合間のジョジョ読み直しと∞度目のコーヒーブレイクを経て寝ます…おやすみ…。
にしけい