ブログ過去記事のリライトや削除ってもしかすると大事なものまで失ってしまうかも

僕の拙い文章をたくさんの方に読んで頂けているのは非常にありがたいことでして。

よくお会いした際に過去に書いた記事などについてコメントをいただけたり、おもしろかったですと言っていただけると本当に嬉しくて照れ笑いしかできない自分に苦笑いしてしまいます。

かれこれ、この「にしけいポン」でブログを書き続けて6年目ぐらいになると思います。

自分でもたまに過去の記事を読み返してみるのですが、読んでいてとても恥ずかしい気持ちになることもあります。

僕がまだ占いでお仕事を始めたてのころの鑑定書を大事にとっといてくださって、それを再度鑑定する際にお持ちいただくことがあるのですが

2、3年前なのに自分の鑑定内容の情報量の少なさや「もっと今ならわかることいっぱいあるのに!」という気持ちになり、恥ずかしくなります。

まるで自分が過去の恋人宛てに書いたラブレターを引っ張り出されて読んでいるような気恥ずかしさを覚えます。

このブログも自分が過去に書いた記事を読むと「あのころは一生懸命こんなこと考えていたなー」という甘酸っぱい気持ちになります。

で、「今は考え方がもっと違うのに」とか「今だったらもっと上位互換のある記事書けそう」と思い、ブログ記事のリライトを試みたくなるのですが…僕はリライトしないことにしています。

 

全部自分じゃん

僕はいつでもそのときの「全にしけい」を注ぎ込んでブログ記事を書いています。とにかく全力なんです。

そのとき夢中だったり、そのときもっとも自分の中で熱い概念とか、おもしろいと思うものを書きます。

ときには「にしけい、大丈夫か?」と今自分が読み直しても心配になる記事もありますし

「この頃は、これにハマってたなー」と自分が夢中になっていたものを俯瞰して観察することもあります。

文の書き方とかけっこう顕著で、その時期読んでいた作家さんの文調がそのまま表れていたりすることもあります。

で、こういった自分の「過去の全力」をリライトするということは、過去の自分を消すというか、否定しちゃうことになっちゃうと思うんですよね。

だから、とても恥ずかしかったり、もっと今は違うのにー!と思ったとしてもリライトしないことにしています。

過去に付き合っていた恋人とのやりとりや連絡先を全部消去する人いるじゃないですか。僕はそれが全然できなくて。

過去にお付き合いしていた方々とはSNSなどで繋がっていたりして、今も連絡が取れる状況です。

「それって女々しくて執着が強いだけじゃないの?」と思われるかもしれませんが

なんというかその当時、全力でその人を好きだったのは事実ですし、元恋人さんたち(もちろん友人も)との時間ややりとりがあったからこそ今の自分があるわけで

たまに元恋人を全否定する人がいますけど、それってその元恋人というよりも、過去の自分を否定することになるんですよね。だってその当時その人を選んだのは当時の自分だったわけですから。

当時の自分はその人を選んだってことは、当時の自分にとっては魅力的だったわけだし、必要だったと思うんです。

その人たちとの関係があったからこそ今の自分があるわけですから、元恋人を否定したり自分の記憶から抹消するのって強烈な自己否定になっちゃうと思うんです。

そんなわけで、ブログの記事も「過去の自分も自分」だと思うと、否定できないというか。そこも受け入れてあげないと今の自分も受け入れられなくなるのかなと思うのです。

 

ブログは自分の成長記録でもある

あとは、ブログって自分の成長記録みたいな側面もあると思うんですよね。

幼虫がサナギになって蝶になる。

誰しも自分の美しい「いいところ」を見せたがるので「蝶の部分」しか見せたくないわけです。

でもそんな蝶にもウネウネと木の枝を這いずり回って、鳥に怯えて暮らしていた幼虫の時期があったはずです。

最初から「蝶」の部分しか見えない、見せないってなんかちょっと気持ち悪くて。

やっぱり「この卵が、孵化して、幼虫の時期があって、サナギになって…」というストーリーが見えた方が感情移入しやすいというか「説得力」が生まれる気がするのです。

いきなりポンっと完成品を渡されるよりも、工場見学のようにその製品ができる過程も分かったほうが親しみや愛着が湧くじゃないですか。

僕自身、誰かに相談するとしたら「その人がどんな人か」ってめちゃくちゃ気になりますし、ネットの情報だからこそリアリティがないと信用できないと思うのです。

 

ノイズが作り出す人間くささ

あとは1人の人間でもいろんな顔をもっていて多面的じゃないですか。

楽しいときもあれば、苦しいときもあるし、占いの研究をしているときもあれば、チーターとイノシシどっちが強いのかとかを考えているときもあります。ほんといろいろです。

ひとつの分野に特化してブログ記事を書いた方が「専門誌」っぽくていいんですけど、専門的にするためにはある一部のひとたちに刺さるように「ノイズ」を除去しなくてはなりません。

例えば真面目な医療系の専門誌にハムスターのエサの広告を入れても誰も見ないでしょうし、違和感しかないわけです。もしかしたら「不適切だ」としてクレームを入れる人もいるかもしれません。

僕だったらその広告を見てけっこうニヤニヤしちゃうと思いますけど、一般的には専門性を出すためには、その分野と関係性が低いものって排除されちゃいます。

でも、その「ノイズ」こそがある意味「人間臭さ」を出すと思うんです。

だって人間って矛盾を抱えまくっている生き物ですから「方向性を統一」しようとしても無理なんですもの。

無機質なコンクリの部屋でロボットたちがピコピコ言いながら情報交換し合うような場に1匹だけプレイリードッグがいるような、そんな違和感たっぷりな矛盾溢れる心情を抱えているのが人間です。

過去の記事を書き直すことで、余分なノイズは削ぎ落とされると思います。より洗練されたブログサイトになると思います。

でも、僕はそこを目標としていません。

もちろんけっこう偏った記事内容ばかりだと思いますが、1番は「にしけい」というものに偏っている。そんな記事を書き続けていきたいですし、そんな記事しか書けない気がします。

という、この記事も数年後には「2019年はこんなこと考えていたのか!恥ずかしいー!」と思うようになっているかもしれません。

未来のにしけいくん、そんな気持ちになっていたとしてもこの記事消したりリライトしないでね。よろしくね。

にしけい

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

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