オウムシンリキョウ

石川県に向かう途中、鯖江駅に向かう列車の中。

3人のおばあさんたちが向い合せに座りながらこんな話をしていた。

白髪のオバアサン(以下:白)
「うちの旦那がねえ、テレビが好きでねえ」

メガネのオバアサン(以下:メ)
「うんうん」

白「ほって(それで)、よう私に何でも話してくるがやけど」

メ「うんうん」

鼻の穴が大きなオバアサン(以下:鼻)ゴソゴソ・・・(飴の包み紙と格闘中)

白「どれもこれも、自分の考えたことじゃなくてさ、聞いたことをそのまま話してくるわけよ」

メ「ふぅん」

鼻(ガサガサ・・・)

白「それでさ、あたしがちょっと質問したら答えられないのよ。結局全部聞いた話だから」

鼻(もごもご、やっと飴玉を口に入れる、そして(^^)ニコ!)

メ「それさあ、あたしんところの息子も一緒やわ~」

白「ほおほお」

メ「一生懸命、本やらインターネットやらで調べてくるし、勉強熱心でいいんやけど、やっぱりそこからそのままの言葉をもってきてオウム返しにしとるだけなんやわ」

メ「それでね、あたしは息子にオウムみたいに聞いたことしか言えん人はオウムシンリキョウだよ~って言っとる」

白「はあ~!それおもしろいね~!その通りやわ!オウムシンリキョウ!それやったらうちの旦那もオウムやわ!」

鼻「ごめん、話聞いとらんかった!もう1回言って!」

・メ
「あのねえ、テレビとかでさぁ・・・(以下略

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僕もよく人から聞いたことや本の内容をそのまま紹介することはあります。

メガバアの息子さんみたいに勉強することもあります。でも、やっぱり経験して得た知識や情報の方がググっと重みと面白味が出ます。

そして「自分の言葉」で伝えられたときの方が、空腹時に飲むリンゴジュースのようにスーッと人の耳と心に入る気がします。

「受け売り」を否定しているわけではなく、「受け売りしか話せない、話そうとしない」ことが良くないんじゃないかなと思うわけです。

というよりも、何かこう、話の内容が陳腐で退屈に感じてしまうのです。

どんな些細なことでもいいんです。

例えそれが上司の愚痴でも、昨日見た夢の話でも、ペットの自慢話でも、自分が体験した、感じたことの方が何かこう「その人が何を考えて生きているのか」という情報がたっぷり詰まっていて僕は好きなんです。

そりゃ聞いた人に感謝されるようなありがたい話とか、人のためになることがポロっと言えたら良いんだけどね。

占いをやってるとたくさん『人』を見ます。それで、その『人』とその人が発する『言葉』に違和感があると

僕のショボいパラボラアンテナでも敏感に感じてしまうんです。

メガネのおばあさんの言う「オウムシンリキョウ」という表現もどうかと思いますが、オウムシンリキョウになっている人、結構いるんじゃないかなー

まぁ、この日記自体、3人のオバアサンの言葉をそのまま使わせてもらってる時点で、僕もオウムシンリキョウなんですけどね…

なるべく自分の経験を自分の言葉で伝えていきたいですね…

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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