「よがり声」の「よがり」からつれづれ

自分よがり。「善がる」つまり「良いと思う」ということを指すんですね。「自分よがり」という状態は「自分は良いと思う」「自分は満足している」という状態なんですね。だから、「よがり声」というわけです。快楽を感じているから出る声。

自分よがりと似た言葉に「一人よがり」というものもあります。「一人だけ良ければいい」「一人だけ快感を感じている」という状態です。「あなたは一人よがりな人ですね」と言われたら、「あなはた一人(自分)だけ良いと考えている人ですね」という意味なのですが、一人よがりだと指摘された行為が果たして本当に「自分を満足させる行為」なのかは本人しかわかりません。

 

正義感が取引を成立させる

 

例えば、静かな図書館で大きな音を立てている人に対して、「あなたは一人よがりだ!」と言ったとしても、果たして音を立てている張本人は「快感」や「満足感」を感じているのでしょうか。そんなことは分かりませんし、どうだって良いのですが、「一人よがり」という状態は、凝集作用によって生まれます。

図書館で音を立てる人は、注目を集めたいわけです。お金を独り占めしたい、食べ物を独り占めしたい。集める、凝集作用です。寂しいという状態も凝集作用から生まれます。犬が骨を集めるのと同じです。何かを一箇所に集めたいときに「一人よがり」が起きます。コレクターです。巣に宝石やガラクタを拾い集めるカラスと同じです。

図書館で大きな音を立てている人に対して、何かを指摘したり、視線を注ぐと需要と供給が成立する可能性があります。その行為をやめさせようとすることで取引が成立するのです。よくできています。構って欲しい人と構ってくれる人がマッチングするわけです。「正義感」「言わずにはいられない」みたいなものが、火に油を注ぐ可能性もあるわけです。火が「もっと油を注いでおくれよ〜」と誘い、注がずにいられないわけです。

 

注目コレクターの入門と卒業

 

注目を集めたい気持ちは、なんか生まれつきの本能みたいなものかもしれないと考えています。3〜5歳ぐらいで「注目コレクター」の片鱗みたいなものが見える子は見えるような気がします。

でも、途中でコレクターになる人もいれば、途中で卒業する人もいます。もちろん最後まで注目コレクター人生を貫く人もいます。

注目コレクターは「一体感」を求めているはずなので、何かと一体感を感じられる「穴」みたいなものが開発できれば、少しは集めたい欲がおさまるかもしれません。

ハグとかスキンシップも一体感を感じられるので効果があるはずですので、できる機会がある方は多めにしておいてもいいかもしれません。

 

人の目を気にしすぎる

 

「人の目を気にしすぎる」という状態は、注目コレクターの中でも「こだわり派」だと考えています。

例えば、ポケモンカードを集めるときに「どのタイプのカードでも欲しい」とか「ある程度レアが欲しい」とか、ひとによって「こだわり」が違います。

「草タイプのポケモンのカードだけ集めたい!」というこだわりをもつコレクターは、誰かからポケモンカードをもらっても「これは草タイプじゃないから、違う!」となるわけです。要するに特定の種類の反応や評価のみを集めようとする状態が「人目を気にしすぎる状態」です。

水タイプはいらない!草じゃないといや!なんでみんな草タイプ以外のカードを渡してくるの?私には草タイプだけちょうだいよ!草タイプ以外は受け付けません!草タイプのカードが一番最強で、一番安心できるんだから!バカ!バカのオニドリル!

いろんな注目・評価のされ方があります。いろんな種類の注目や反応が集まってきます。例えば、図書館で大きな声を出して騒いでいる人も「こういうリアクションを集めたい」というこだわりがあるはずで、それ以外のリアクションをしてみると、その行為をやめてしまうかもしれません。

 

二重の固定イメージ

 

人目を気にしすぎる状態というのは、「ポケモンカード=草タイプのポケモン」みたいな何か固定されたイメージがあるわけです。過去に草タイプのポケモンで大勝をおさめて、快楽物質がドバドバ出たとか、反対に草タイプ以外のポケモンカードを使ってボロ負けをしてトラウマになっているとか。

いかんせん、固定されたイメージが強い注目コレクターは、注目を集めたい・評価はされたいものの、それが自分がイメージしているものと違うと「不快」「不正解」という風になって、新たに「注目されること=不快」という固定イメージを形成します。固定イメージが二重にかかるので、パズルを解いたと思ったら、またパズルが出てくるめんどくさい箱みたいな感じになるわけです。

「正解」の範囲が狭くなると、否定が増えます。それでも、反応や評価や注目を集めたいので、コレクター活動を続けていくわけです。でも、満たされないので、コレクター活動は永遠に続くわけですね。

だからまぁ、あれですよ。最初に「ポケモンカード=草ポケモン」という縛りを作っちゃっているところから始まっていると思うんですよ。「人目を気にしすぎる人」は、縛りプレイヤー、縛りコレクターというわけなんですね。

 

トラブルが起きたら壊しどき

 

あてもなく書き始めて、あてもなく終わろうとしていますが、「イメージの固定」が強すぎると、けっこうめんどくさいことになるよね。

僕も先日、父と飲んだ時に口論になったんですけど、たぶん僕の中にある「元気な父、イキッてる父」みたいなものが固定されていて、年を老いて元気がなくなっている姿を見たくなかったんだと思いました。固定したイメージの押し付けはだめだなーと反省した次第です。「いつまでも元気でいてね」ってけっこうイメージの押し付けかもしれない。

トラブルが起きると、固定したイメージを捨てて、情報を更新する必要があるなぁと実感します。「勘違い」とかも完全にこれが原因だもんね。

固定したイメージが「支え」になることもあるんだろうけど、その「支え」がグラグラでひび割れしてきてるのなら、壊しどきなんじゃないかなと思います。

 

YODAN

 

ワシは思うんじゃが、不必要にセルフイメージを固定するのって、これからのご時世は悪手じゃと思うんじゃがのう。

「わしはこういう人じゃ」「わたしはこういう人です」「自分は◯◯です」というものを限定して、狭めていけばいくほど、息苦しくなると思うんすよね。

もう既に、SF小説「1984」の超監視社会みたいな世界になってきてるじゃないですか。

「固定されたイメージ」と違うから、みんな怒ったり、悲しむんでしょ。勝手に固定したイメージなら、勝手に怒れば?って話だけど、自分で「こういう人間です」って固定したイメージを作っちゃうから、「裏切られた感」が強くなるわけでしょ。

でも、「私はAです」って言っても、勝手に「あなたはBだ」っていう固定イメージを作っちゃう人もいるし、どうしようもないよね。

自分のイメージすら現実とズレまくっているんだから、同じ言葉でもイメージが違いまくってるんだろうね。

「議論」とか「話し合い」って成立しているようでしていないのかもね。虚と虚の応酬みたいな。意外とほとんどの中身はスッカスカなのかもね。

この文章も一人よがりで、スッカスカだから、気にしなくていいっすよー。

 

ニセケイ

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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