病み上がり後・抜け殻を眺めての所感

長男・次女の幼稚園の父親参観に参加。その後、五百羅漢手相組手最終回で350人分の手相を解説したあと、ジワっと嫌な感じが。前日から次女が嘔吐しまくる胃腸風邪に罹患し、その後長男、妻と罹患。そして僕もダウンしました。今流行ってるらしいです。感染性胃腸炎。僕以外は全員嘔吐と下痢でしたが、僕だけは幸いにも高熱のみで済みました。久しぶりに風邪をひいた気がします。体調を崩すといろんなことが全部ストップします。キャンセルになります。本当に申し訳ないです。

家族全員一気に罹患したので、ゾンビが「あ”ぁ”〜あ”ぁ”〜」言いながらゾンビの看病をするような地獄絵図でしたが、風邪をひいている間ゆっくり本を読んだり、言語化の吟味が進んだり、大変ではありながらも充実(?)した時間ではありました。ちょうど自分の中でマイナーチェンジが起きていて、それを後押しするような形になる混沌でした。自分の中の至らぬ点や、良くないなと思う点も見えてきましたし、うぬぼれていたなと思う点も多々あり反省と思考改善となる時間でした。ようやく2年越しぐらいで続いていた右下フェーズに幕を閉じた気がします。自分の身の回りに起こる現象も結局のところ自分が集めていたものですし、中身がリセットされた今まだ赤ちゃんのようなおぼつかない足取りですが、イレギュラーなものをもっと取り込んでいけそうな気がしています。

19歳で初めてバイト先のブックオフで手相の本を買いました。そこから手相にハマり「具体的に解決策を提示するにはどうしたらいいのか?」と模索していたところたまたま「気学」に出会いました。「方位」「家相」「地相」「墓相」を学び、実占する中で、これらは共通して「象意」という「現象の方向性」を読み解く必要があるということに気づきました。

気学を学んだあと易を独学し始めました。卜術に徹底的にハマりました。偶然性の世界にどっぷり浸かりました。相と卜。ここから「偶然出た象意を見る」というが考えが生まれ、2020年ごろに「顕現相術」という現象から占う…という占術が生まれました。顕現相術が生まれた時「これを超えるものはない!」と思いました。常に何か生み出して、生み出すたびに「これは最高だ!」と思うのですが、それが1、2年ぐらいで刷新されます。そのスパンが短くなってきているようです。

何か生まれるときは常に大きな矛盾や乖離が生まれるときです。何か離れたものと離れたもの、別の方向を向いているもの同士をどうにかしなくてはならない場面に遭遇します。それらをどうしたら平和的に、柔軟に馴染ませることができるか。いつも多用していた縦横のマトリクスの図がありますが、あれがギリギリなんですね。「もっと軸を増やすべきだ」という意見を投げかける人もいたんですけど、軸を増やしても分化軸が増えてデジタル方向へ進むので実態とより乖離していくんですね。僕の経験上、軸や条件を増やすと無駄な競争が生まれます。それは分断が起きる要素が増えるからです。だから二軸でもギリギリでした。あと美術館などで絵画を眺めていて気づいたことなんですが、二次元で表現されているからこそ奥行きや余裕が生まれるんです。曖昧さというか。アナログだからこそ余地がある。「見る人」が入り込める余白が生まれます。

だから、僕の中で縦横のマトリクス図は表現としてけっこう表現許容範囲ギリギリでしたし、二次元ゆえ非常に使い勝手のよい自由度がありました。しかし、いろいろ模索する中で、さらに滑らかでアナログなものが出てきました。より「ありのままとらえる」というものに近いと思います。それが「場」という考え方です。これは気学の空間をどう使うかというものとも繋がってくるのですが、実際は気学とは全く違ったものであり、それすら包括する概念です。これもやはり矛盾から生まれたものでした。顕現相術ですら、まだカクカクとしていたポリゴンのように感じられていたものを滑らかにしたんですね。1997年に発売したプレイステーションのファイナルファンタジー7のムービーシーンを初めて見た時「すごくリアルだ!」と感動したのですが、今になってみるとすごくカクカクしているんですね。その感覚に似ています。

少しずつ、よりアナログで水っぽくなってきているというか。滑らかになってきている感じです。自分の占いがどこまで通用するのか試してみたいという気持ちがより強くなってきたこともあったと思います。にしけいというバイアスを抜きにして、自分はどこまで通用するのか。顕現相術を超える次の視座が生まれた今、まだ荒さが残る自分の術をより滑らかにするには、外に出ていろいろ体験する必要があるなと考えています。といっても、自分で得ようとするよりもランダム性というかイレギュラー性の方が必要だなとも考えています。何か全く別のことに巻き込まれていくような、全く占いの世界とは違う世界に引き込まれていくような予感もしています。ただ、それが自分の占いをさらに上達させる流れに向かわせてくれるような気もしています。

これだけ文章を書いておいて恐縮ですが、今肉体的にも精神的にも一度空っぽになったような状態で、無駄なものを捨てて丸腰のような状態です。それゆえ、思考の動きに無駄が減ったような気がします。誤魔化しが減ったというか、より素直で軽くなった気がします。これは気分だけかもしれませんが、ここにきて自分の伸び代をまだまだ感じられた喜びと、それが虚ではなく実であると言えるように行動あるのみです。

今月末に開講する「場と反応と相」は、顕現相術を壊して今一度なめらかになった自分が話したいことを話す講座です。タイトルももう少し気の利いたかっこいいものを付けられればよかったのですが、最終的に無駄なもの、煽るようなものは純度が下がるので違うなと思い、このタイトルになりました。

既存の占いの知識情報は一切出てこないですが、それらを包括する内容です。なので、顕現相術も気学も知らなくてもいいです。何を目指しているかわかりませんし、何に役に立つかはわかりませんが、皆さんがもっている世界の中に潜在的にある「占いの芽」のようなものに気づき、それを自分がもっている世界の中で育成・活用できることがこの講座の目的と言えます。本当はどこにでもあるし、自分の中にもある。既にもっているし、体験している。特別なことは何もない。それに気づくために少しだけ僕が懐中電灯を照らすような感じだと思います。

講座「場と反応と相」のお知らせ

 

皆さんも無理なさいませんように。もし体調を崩されても、良き混沌との出会いがありますように。

 

にしけい

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

にしけい (西田圭一郎)

1987年富山生。工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。三児の父。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。学生気分が抜けません。詳細はこちらから

小学生でもすぐに読める風水・地相・家相の本を書きました。読まれた方の頭の片隅に「風水・地相・家相ってこういうことをやっているのか」というイメージが少しでも残れば幸いです。

手相の入門書としてたくさんの方々に読んでいただいる1冊です。

日本で初めて花札を占いのツールとして体系的にまとめた入門本です。気持ちや感情の変化を読み取ることに長けた占いです。

方位作用?吉方位?凶方位?距離…気学の気になることを身をもって実験・検証した記録を綴った1冊です。失敗や家族を巻き込みながらも得られた「気学の本当のところ」をまとめています。

「手相占い」というものをバラバラに分解してこうなっているのかと観察する1冊なので、正直手相占いに夢や幻想を抱いている人は読まない方がいいです。でも、それが夢や幻想だと気付きつつある人には「薄々気付いていた曖昧なこと」を完全にぶっ壊してスッキリさせる1冊です。

気学(方位・家相・地相・墓相)はもちろんのこと、易、花札占い、手相、人相、顕現相術など幅広い占いでご活用頂けます。

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