にしけい ポン

虚構(フィクション)についての考察

 

撮り溜めていたテレビドラマを観てフと思ったのでつれづれ。

 

なぜ、ドラマは現実よりもリアルに感じるのか。

 

嘘、虚構、フィクションだと分かりながらも引き込まれていく。ドラマ。一度見だすと止まらない。

そして見終わったあとには胸に熱いものが宿ったり、走り出したくなったり、感情を揺さぶられる。

嘘だとわかっているのに、あたかも本当に主人公たちが存在するかのように錯覚して、心や行動まで変えてしまう。なぜなのか。

 

理由が明確だから脳が喜ぶのかもしれない

 

扁桃体が司る「喜び」「恐怖」「不快」といった感情は、種の保持のために昆虫から人間まで多くの生物に備わっている。

初対面で会った人の印象はこの扁桃体が決める。

そして、大脳新皮質というところが理由付けをするらしい。

ただ扁桃体が「なんかこの人嫌だな」と判断しただけなのに

嫌な相手(敵)を記憶しておくために大脳新皮質が理由付けする。

 

「この人、歯並びが悪いから不快な感じがするのか」

「この人の話し方が気に食わないのか」

といろいろと五感から得た情報と結びつけて記憶する。

 

「あの人はなぜ自分を嫌うんだろう、辛く当たるんだろう」という悩み。

実はそんなに悩む意味がなかったりする。

自分のことを嫌う理由は、その人しか分からない…

もっというと、その人自身なぜあなたが嫌いか本当は分かっていない、後付けの理由なのだから。

 

ドラマは、理由が分かりやすい。主人公が怒る理由、旅立つ理由、ヒロインが涙する理由、悪が滅びる理由…非常に分かりやすい。

まるで大脳新皮質が脚本を書いているかのように、上手に理由の積み重ね…ストーリーを組み立てる。

理由が明確だから感情を揺さぶるし、記憶に残る。

ハッピーエンドでもバッドエンドでも理由付けがきっちりしていればしているほど、その結果に至るまでのプロセスが複雑で重厚なほど、感動は大きい。虚構であるにも関わらず。

 

ドラマや映画を見ると、自分が生きている現実世界がちっとも輝いていないように思えたり、自分は平凡なんだなと思えてしまったりする。

感情が揺さぶられない現実世界の方が「ウソ」なんじゃないかと思ってしまう。

「そうじゃない」と思い込みたいがゆえに、急に他人に優しくしてみたり、走り出してみたり、新しいことを始めようとする。

影響を受けて、行動する。ウソなのに、理由がしっかりしているもんだから、説得力があるんだね。

 

ウソを否定すること自体、理由はない。

 

「嘘も方便」という言葉があるよね。

方便…仏教で、人を真の教えに導くための仮の手段。

ということは、人間の脳は「仮の手段」で、感情や記憶をコントロールしていることになる。

本当は存在しない「好き」「嫌い」の理由をテキトーに作っておく。

つまり、人間の場合「嘘」は既に仮の手段じゃなくて常套手段になっているわけです。
頭がこんがらがってきましたね。

 

ウソの積み重ね、虚構のジェンガ、人生。

 

なんというか、ときどきフとした瞬間に畏怖の念を抱えることがある。

自分の人生は何なのか?

今まで何のために生きてきたのか?

公園に生えているシロツメクサの葉よりも薄っぺらで

チョコウエハースみたいに中身がなくて

ちょっと誰かに突かれると崩壊してしまうような虚構に虚構を重ねたような人生なのではないか?

ただ身体だけが大人になって、衰えて、経年してきただけではないのか?

虚構で作られた高層マンションで暮らす僕らは、いつ倒壊するのか…という恐怖に襲われ脳が冷や汗をかくような感覚に陥る。

 

それを補おうと

「自分はこういうことをやってきて、こういうところがあります、こんなことをがんばってます、すごいでしょ〜^^」と

フェイスブックやブログや名刺に書けば書くほど、居酒屋でビールグラス片手に照明を見つめながら語れば語るほど、さらにウソを重ねているような、さらに罪を重ねているような罪悪感に駆られる。

こうやってブログを書いている自分ですら「わかっているようなふりをして、またウソをついている」と、うすら寒いこと書いているなぁというような冷眼で自分を眺める自分がいる。

 

ウソから出たまこと、僕たち。

 

先述した通り、自分の行動理由はドラマ以上にフィクションだったりする。

でも、自分が今存在していることは事実。プロセスはウソでも、結果は事実。

不思議なことに、虚構で出来た高層マンションに僕たちは住み続けていることが出来ている。

もっというと、自分が死んだあとでも虚構だけは生き続けるかもしれないし、語り継がれるかもしれない。なんという迷惑千万な話!

でも、先祖たちが生き残ったから今の僕たちがいる。

生き残るためにはたくさんの学習をしなければならないし、学習するにはウソの理由付けが必要になる。

先祖たちが作り出した嘘が、僕たちを作っている。でも、やっぱり自分が存在するのはウソではない。

「生きなければならない」「種を残さなければいけない」という理由のみはウソではない可能性が高い。

 

辻褄が合うウソを、人は不快に思わない

 

ここまで読んでくれている人がどれぐらいいるか分からないけれど

こうなってくると「ウソ」自体を「悪」と決めつけてしまうのは、自分の存在否定につながるような気さえしてくる。
「ウソ」や「デタラメ」は悪なのか。

もし悪なら、ドラマや映画や小説は悪になる。ウソ自体は悪ではない。

ただ、人は辻褄が合わないウソを嫌う傾向がある。

未成年の快楽殺人者を精神異常・未成年による判断力の欠落と擁護する弁護士たちに不快感を抱かずにはいられないように、辻褄が合わないことについては不快感が残る。

しかし、辻褄が合うかどうかを決めるかは結局、受け手次第。その辻褄が正当かどうかを決める理由は無いわけだから…

 

結局何が言いたいかというと

 

ドラマや映画で美男美女が出てくるのは、それだけで感動を呼ぶ可能性が高い

だって「かっこいいな」「かわいいな」と扁桃体が思ってしまえば、それだけで登場人物の動機に説得力が増すんですから。

本当にドラマってよく出来てるよね。

 

なんだその薄っぺらい結論は!って?

いや、あの「辻褄が合っていればウソをついてもいい」なんて結論にしちゃうと

夏休みの夜更かし小中学生たちがこの記事を読んで、嘘八百並べ立てて夏休みの宿題をしないって親御さんたちから苦情が来るんじゃないか…って…。

 

え?小中学生たちがこんな気持ち悪い個人ブログ読んでるわけないって?

 

それはウソでしょ!

 

 

にしけい

 

■この記事を書く至った思考材料■

@ジョージ・オーウェル「一九八四」

@名古屋世界コスプレサミットに参加する扮装者たちの列

@ドラマ「ゆとりですがなにか」を観て心ゆさぶられた自分

 

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西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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