知れば知るほど知らないことや分からないことが出てきます。なので、知っていることを誇ったり、知らないこと(人)を批判するという行為はどこまでいってもできないはずなのです。自分も知らない人だからです。
上記のような行為は無限に続く深淵な世界をどこか特定(自分にとって都合の良い)の部分で切り取ることで起きます。切り取るので了見は狭くなります。そこには満足・慢心があり、探求を止めた状態でのみ上記のような行為が行われます。
どこまでいっても知らないことだらけです。分からないことだらけです。知らない人にわかりやすく説明することで分かることもあります。しかし、そこで「知らない者は未熟だ」と切り捨ててしまうと、その機会すら失われます。
探求し続けている人であれば議論する余地や希望があります。しかし、探求を止めてしまった人とは議論できません。スポーツなどの試合でいうと、全くやる気がない相手と戦うようなものです。そこには死体を蹴飛ばすような虚無しかありません。試合の場すら発生(成立)しないと思います。
知識の有無、経験の有無、年齢、性別、分野や領域…そういったことは無関係です。知らないことや分からないことに対してどう考え、どうアプローチしているか、です。
にしけい