抽象化と三人称視点によって生まれる余裕と余白

全然違う業界の方でも、共感し合えたり、話がはずんだりすることがあります。初対面でも、言語が違っても通じ合える瞬間があります。共通の何かがあるんですね。

通じ合いやすい人・通じ合いにくい人。その違いは何かというと、抽象化できているかどうかだと思います。自分が普段送っている生活の中で起きている具体的な出来事の中から抽象性を見出しているかどうか、だと思います。

過去に何度も抽象化について書いていますが、僕が抽象化が好きなのはより多くの人と通じ合える可能性が増えるからです。対立やいがみ合いの多くは、具体性(一人称視点)によって起きます。

下はMinecraftの一人称視点の画面です。視座が低い(内)になっていて、細かいことをしたり、何かに集中するには優位に働く可能性があります。これが「具体的な視点」です。

 

 

日々の生活の中から、抽象化をするには三人称視点(高視座)が必要になります。自分を離れる必要があります。自分の頭を上から眺めているような下のイメージになります。

 

頭上に蜂の巣がありました…

 

視座を三人称視点、自分を離れたところから観察すると、より遠くが見えてきます。遠くが見えると何が起きるかというと、この先どうなりそうかとか、他に良い方法はないかといった解決策が見つかりやすくなります。

僕のお仕事は先を見通して、何かしらの問題を解決することなのですが、その際にどうしてもこの三人称視点が必要になります。とはいえ、抽象度を高めて観察すると、僕のお仕事はみなさんのお仕事と同じようなことをしています。「占い師って珍しいですね!すごいですね!」というようなことを言われますが、全然珍しくもなくすごくもなく皆さんと同じように普通のことをしていると思います。

自分を離れれば離れるほど、自分は特別な存在ではなく普通で、全体の一部に過ぎないということがわかってきます。バクテリアや微生物のようなイメージです。反対に、一人称視点で具体度が上がれば上がるほど、自分を特別視するようになります。何かにおいて「1番すごい!」と示すためには視野(範囲)を狭めれば1位になれます。

過去に僕はバドミントンのダブルスの大会に出たときに、総当たり戦で全部負けたんですね。でも、その大会の男子ダブルスにエントリーしていたのは3組だけだったので、3位になり賞状をもらい表彰台に乗りました。1つ年下の子とダブルスを組んでいたのですが、そのときばかりは気まずい空気になりました。

それで、より外側(高いところ)から状況を見渡すことができれば、社会的に優位な立場に立てるのか、経済的に優位なのかと言われるとそうではありません。社会的優位性につながる場合もあるのでしょうけれど、「抽象化=社会的に優位」にはならないんですね。

むしろ、抽象度が高い人たちはひっそりと自分のペースで暮らして、自分なりの豊かさのようなものを追いかけている場合が多いです。自分なりに楽しみを見出しているという感じでしょうか。

 

 

Minecraftの三人称視点のように、少し離れたところから自分を観察することができると、失敗やトラブルを避けやすくなりますし、何か起きたとしても割とすんなり解決できる場合が多いです。例えば、仕事や就職活動がうまくいかなくても、「うまくいかない状況」を踏まえてどうするかを考えられるようになるので、決断や展開が早いんですね。「それなら次はこうするか」という数をたくさん打てるようになるので、結果的に成功する確率は上がります(≠社会的評価ですけど)。

こういった三人称視点につながるもののひとつに、「誰かに自分のことを話す」「話を聞いてもらう」というものがあります。ブログや日記を書くことも同じような効果があるかもしれません。何かしらアウトプットすることで、自分を離れることができるようになります。こうすることで、余白や余裕が生まれるようになり、新たなチャンスや可能性が増えるんですね。

レッツおしゃべり!

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。著書は50冊以上。三児の父。詳しくはこちらから。

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