風水における四法(龍・穴・砂・水)とは何か?抽象記号化すると…

3月から洛地準則・詳説講座を行っています。

全6回 洛地準則 詳説読解講座
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洛地準則は日本における家相・地相・地理風水に関する「原本」的な立ち位置で、一言で言うと「よくできたまとめ本」です。洛地準則をネタ元にして書かれた本はたくさんありますし、洛地準則自体が江戸中期から江戸後期にかけて繁盛した家相や風水の種々の書籍をリソースとしてまとめられています。

 

風水における四法(龍・穴・砂・水)

 

洛地準則では当然のように土地を見ていく上での巒頭的な見方についても述べています。その際に、龍・穴・砂・水の四つの要素が重要だと述べています(読みやすくするために一部原文を変えて引用しています)。

洛地準則より引用

地理を断ずる者を堪輿家(かん[たん]よか)という。「堪」は「たえること」で、「輿」は「のせる」なり。孟子に地は万物を覆載(ふくさい)すと、これなり。よく万物を載せたゆるをいう。山法地理全書に曰く、堪輿の説、概ねこれを言わば龍穴砂水の四法に過ぎざるなりと。

龍(りゅう)は山地の形勢。

穴(けつ)は竅穴(きゅうけつ)をもってよく本来の元気を通ずるなり。山嶽(さんがく)の体内はこれ石あれども活動するところはまた必ず脈絡牽連して、地の真気また必ず竅(あな)あって外に通じ、天地の真気を得る穴を言う。

砂(しゃ)は土に似て土にあらず。石に似て石にあらず。性物を専らにすることなし。古人、山川従衛の勢いを成すものをもってこれを名付けて「砂」という。

水(すい)は気のよって兜収(とうしゅう)するところ、高大なるときはすなわち貴重、曲折にして深遠なるときはすなわち悠久に水気あるところ吉なれば、よく養いを致し、凶なれば疾病を司り、血脈が途絶える。風水を考える者、これに意を留むべきなり。

 

龍・穴・砂・水って何なの?

 

風水において、重要とされる龍・穴・砂・水の四要素。しかし、「これってズバリ何なの?」と答えている本や媒体は少ないです。それっぽい説明や、機能や効用について述べているものは多数存在しますが、それそのものが何なのかを述べている媒体がほとんどないんですね。ほとんどの説明がなんとなくふわっとしているんです。

上記の講座では、これらの四要素を端的に言語化して明確に説明していますが、僕は言葉よりもよりシンプルな抽象化概念に変換したほうが有用性が高いと考えているので、この四要素を記号化したものを載せておきます。

上記の文章に出てくる堪輿家(風水師)とは何をする仕事なのかも、合わせて抽象記号化したので、ご参考にしてください。

 

なぜ、このように抽象記号化にこだわるかというと、抽象化しておくことで他の分野や学問にも応用できるからです。数千年も昔の知恵を現代に生かすには、具象の要素を取り払わないとなかなか難しいです。応用範囲が限られてしまうというか、自由ではなくなるわけですね。先人たちの知恵や研鑽を無駄にしないためにも、何を言おうとしていているのかを理解して抽象化する必要があるんですね。そのためにはただ言葉や意味を鵜呑みにするだけではなく、どのような文脈で用いられているのかをきちんと理解する必要があります。つまり、「それが生み出された背景」です。

この抽象化の作業は、選択肢や可能性を広げる作用があるので、その機能に柔軟性を付与することができます。一般的な日常生活における風水の取り入れ方って「黄色いハンカチをもてば恋愛運アップ」とか「北にソファを置くと金運アップ」といった感じのものだと思うんですけど、抽象化しておくことで「風水における龍を現代のビジネスに応用するなら?」とか「恋愛において風水の砂を取り入れる~復縁編~」といった具合に、新たな使い道や応用方法を時代や個々にフィットさせた形で生み出せるようになるわけですね。

「黄色いハンカチをもてば〜」というのは思い込み装置としては良いと思うのですが、なんかこうわざとらしさがあるというか、不自然な感じがするんですね。もちろん、上述の記号の通り、風水の役割や機能はそんなことだけではありませんし、人によっては風水師ではなくても風水師的なことを自然に行なっている人たちもたくさんいます。

その時代・場・人に合わせて自然に取り込まれて、サラッと活用されることが風水な気がするんですけど、それを特異的なものとして切り取ると、なんかこう「プレイっぽい感じ」が出ちゃうんですよね。それはそれでひとつの活用方法なのでしょうけれども、本当にうまくいっているものって気づかれないように潜在的にアプローチをかけているものなので、意識的に活用するものって持続性に欠けるんですね。

馴染ませる・統合するためには、わざとらしらみたいなものは邪魔になりますし、「意識する」って疲れるし、長続きしないんですよね。あとは、下の記事にも書いているのですが、抽象化しておくと不毛な争いを終わらせることができます。流派とか派閥とかって具象同士のぶつかり合いじゃないですか。東洋系の占術においても、流派とか派閥ごとの不毛な討論(自己正当性の主張)みたいなものが度々行われているんですけど、MMなんですよね(MM=マジで無駄)。

抽象化は思考のパスポート・選択肢を広げて自由に思考したい
https://nishikei.jp/abstraction/41349/

同じ人間なので、自分が正しい・自分がすごいって言いたくなる気持ちもわからなくはないのですが、選択肢とか可能性が減るし、統合が行われないので、普遍性のある有益なものが特に生まれてこないんですね。議論自体が無駄とは言わないんですけど、なるべく前向きで建設的にやろうぜ〜って思っています。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。著書は50冊以上。三児の父。詳しくはこちらから。

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