教わること
今年の2月に通いはじめたばかりですが、まだ生花教室に通っています。
最近は五本生けが多いですが、本数が少ない方がごまかしがききにくいため、非常に難しいです。いまだに枝葉をバサバサと切り落とすことに慣れません。

誰かに何かを教わりにいくときって、知識や情報よりもその人が見ている視点とか、その人が見ている世界観みたいなものを共有することが大事だと考えていて、直接その人と接することでそういったものが吸収できます。
情報だけ取りにいくのであれば、本を読んだほうが早いですし、情報取得のためのハードルが下がっている昨今においては、目に見える情報よりも目に見えない生の情報を受け取るほうが大いに価値があると考えています。
あとは個人的な意見や質問に対して、個人的にコメントを返してくれる情報(対話)にもすごく価値があります。本を読んでいると対話ができないので、生きている人に何かを教わることができるというのは非常にありがたいです。
体験する
また、何かを「教わること」以上に、何かを「体験」することも非常に重要です。
先日、お邪魔したカナディアンホームさんのイベントでは、ドッグトレーナーのmagさんが会場に来ていたワンちゃんのしつけ講座(?)を行っていたのですが、実際に見る見るうちにワンちゃんの動きや表情が変わっていく様子を生で見ると、「これはすごいな」となりました。
こういった「体験」って何がいいかと言うと、知識や理屈を抜きに「可能性」を広げられることです。人間ってこんなことができるんだ、こんなことも可能なんだ…という事実を受け入れられるようになるんですね。
だって、目の前で実際にその様子を見ているわけですから、どのような仕組みなのか理屈なのかはさておき、受け入れざるをえないんですね。こういうことができるんだな、と。
まずは「実(体験や経験)」があって、理屈や原理はあとからついてきます。オマケなんです。誰かの「可能性」を生で体験すると、そこで枠(固定観念)が外れます。固定観念がはずれると、「あれにも応用できそうだな」「自分でもやってみようかな」といった自分自身の可能性が増えて、いろんなアイディアが浮かんできます。
人と直接会うことは、時間もお金もエネルギーも使います。でも、それは何倍、何十倍、何百倍にも大きなリターンとなって返ってくる可能性を秘めています。
色褪せた意味のない無数の情報たちが蔓延しているからこそ、今後より一層「生きた情報」「生きた体験」に価値が出てくるでしょう。
にしけい



