好きなことが天職かというとそうでもなかったりするって話

その仕事が好きであることには越したことはありません。その仕事に対してのハードルが下がり、心理的コストが低下するからです。

自分に合っているものは何?改めて「コスト」について考えてみてもいいかも
https://nishikei.jp/onayami/50567/

しかし、好きがゆえに「執着」が生まれて、仕事に支障が出る場合もあります。どうしても「天職」とか「自分に合っている仕事」というと、「好きなこと」である必要があるように思う方もいらっしゃいますが、実際はそうではありません。好きでもない、興味もないことのほうが天職になりうる可能性があります。

そもそも一人で複数のジャンルの仕事をこなす必要がある今の世では、「ひとつだけに絞る」という考え方自体がもうナンセンスなのかもしれません。

 

「理想の仕事」「理想の働き方」という幻想

 

楽しい仲間たちに囲まれて、好きな時間に起きて、好きな時間に自分な好きな人たちと仕事をして、プライベートも充実していて…

ネットのおかげで誰かの生活や暮らしを簡単に覗き見ることができるようになりました。情報の伝播が早くなりました。特定の部分(美しい部分)のみを切り取って発信している人たちがほとんどだと思うのですが、どうしてもそれがリアルでそれが全てだと信じてしまう人もいるようです。

そういった「理想の仕事」「理想の働き方」みたいなイメージを勝手に植え付けられているわけです。そういった「キラキラした幻想」と比較すると「リアルの自分」を惨めだと感じてしまうのかもしれません。「今の職場や環境は違う」と感じてしまうのかもしれません。

でも、「天職」という概念自体が幻想だったりします。「好きなことを仕事にする=正しい」という風潮も幻想だったりします。特に好きでもなく、嫌いでもなく、できることを淡々をやり続ける。それだけだと思うんですよね。

ちょくちょく「にしけいさんは占いが好きなんですね。好きなことを仕事にされていていいですね」とコメントをいただきます。もしかすると、そういった人たちは「好きであって欲しい」「占いを愛している人であってほしい」という願望があるのかもしれません。自分も占いが好きだから、それを仕事にしているにしけいさんはもっと好きなんだろう、と。

でも、僕としては自分にできること・続いていることを消去法で消していったときに今の仕事のスタイルしか残らなかった…という感じなんですね。好きなことや理想を追い求めるよりも、「できることは何か?」「何なら人様のお役に立てるか?」を考えた結果が「今のスタイル」なだけであって、これもまた時代や状況に合わせて変化していくと思います。

「仕事」というものに特定のイメージが強く固定されすぎていると、柔軟にいろんな働き方や場所を試すことができなくなりますし、「自分」というものに特定のイメージが強く固定されすぎていると、「意外といいかも」に出会えなくなっちゃうんですね。

「好き」よりも「できること」「できそうなこと」を試していったほうが、自分にとって長く続けられる経済活動につながると思います。嫌いすぎて合わないなら心理的コストがかかりすぎるなら考えものですけど、好きでもなく嫌いでもなく、フラットにサラッとでいいんですね。

服とか下着を買う時って、まず「自分が着れるかどうか」を考えるじゃないですか。あれと同じです。

「この服を着たい!」「こういう服が好き!」という理想があったとしても、そればかり追いかけていたら服を買って試しに着てみる機会が減っちゃうわけですね。「体型が合わないから着れないけど、LIZ LISAしか着たくない!」と言っていたら、いつまでたっても服が着れないし、自分に合うものが見つからないんですね。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。著書は50冊以上。三児の父。詳しくはこちらから。

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