ウルルのホテルで出会った24歳の男の子と夜ご飯を一緒に食べることにしました。全く自分のことを知らない初対面の人に自分がやっていることや、考えていることを伝えるというのは、とても新鮮でした。自分のことが一番自分がわかっていないのかもしれません。
自分について説明するときに、どう説明したらより伝わるかを思索しますが、彼と話をする中で僕自身頭の中で整理できたものがありました。初めての景色を見て、初めての人に会って、飛行機や移動中に黙々と考える。ノートに書き起こす。図を書いてみる。花火がドドドドッと打ち上がるような「動の時間」と、1人で黙々と本を読んだり文章を書く「静の時間」を短期間で交互に体験できる「1人旅」というのは、すごく豊かな時間の過ごし方です。感謝と喜びに浸っています。本当にありがたい。
自分自身、何か限界のようなものを感じていたのかもしれません。特定の範囲の中に納まって、外に出られない感覚がありました。自分で自分を閉じ込めていたんですね。言語化したり、図にすることで、ようやく「今までの自分」を離れられるような気がしました。「当たり前になっていること」って本当に気づきにくいんです。思考のルートみたいなものが固定されて、その凄さにも、ズルさにも気づきにくくなっていたんですね。何も疑わずにやっている習慣や癖みたいなものに、今回の旅でようやく少しだけ気づけたんですね。
自分は連続性があるものに固執していたのだと思います。だから、それは占いではなく予測に近いものだったのではないかという考えに至ったんですね。この連続性があるものをそろそろ卒業しなければならない時が来ていたけれど、なかなか手放せなかったんですね。連続性というのは、論理性やデータや経験則みたいなものです。「Reading」の要素です。この要素だけでは足りなかった。より自分の生きる術を磨くには、一度こだわってきた「連続性」を捨てる必要があったのです。
予測外・想定外のパターンや可能性がある。「外」に出るためには、「AならばBだろう」という自分の中にある連続性という鎖を断ち切る必要があったんですね。思わぬところから、良い言語化の機会を得ました。なんとなくガス状で存在していた「もしかして、こうしたほうがいいのかも」という考えが、少しずつ形を成してきて、何か新しいものが生まれそうな気がします。
形ができてきたら、それを踏み台に次の段階に進めそうです。ホバートでボーッと雲を眺めていた時間も、飛行機で作業をする時間も、ホテルで集中して作業をする時間も、何もかもが必要なものだったのだと思います。
旅は続きます。
にしけい