ブログというのは誰が読んでいるのか分からない怖さと希望があります。

ブログというのは誰が読んでいるのか分からない怖さと希望があります。

僕は高専1年のころからホームページを作って日記を書いていますが、当時付き合っていた彼女のお母さんが僕のブログを読んでいたことを知ったときは驚きました。このサイトも僕の親戚、妻の親戚が読んでいるらしいですし、会社員時代の取引先の方に「ブログ読んでいます」と言われて驚いたこともありました。この拙い文章が、僕が想像・想定していない人たちの目に止まっていると思う怖さ、気恥ずかしさみたいなものがあります。

それと同時に希望もあります。僕が想像・想定していない人たちからのお問い合わせ・反応があるからです。「なんでこんな方から…?」とブログを書いている僕自身もよくわからないところから反応があったりして、本当にブログは混沌です。

僕は、いいなと思っても作者や発信者の方に「よかったですよ!」「あれは面白かったです!」といちいち感想を送ったりすることはありませんし、SNSなどに感想を書いたりもしません。おそらく多くの方がそうなのではないかと思います。沈黙する大衆(サイレントマジョリティ)です。

ただ、どうしても会ってみたいと思ったときは、アポを取って会いにいきます。会いにいって「よかったな」と思うこともあれば、「夢のままにしておけばよかった」と思うこともあります。しかし、これも会ってみないとわかりません。アウトプットされるものは作者の一部だったりしますし、アウトプットされるものと個人性にはズレがあります。ゴーストライター的な場合もよくあります。

あとは、発信者と受信者の間にもラグがあったりするので、ズレがあって当然だったりします。こういったズレに直面したときに、残念な気持ちになるのではなく、それはそれで自分を分析するための材料になります。自分はなぜそのときその作品に強く反応したのだろう。その人の言葉に心を揺さぶられたのだろう。なぜそれを欲したのだろう。全て自分を知るための材料になります。

僕は下手な占いよりも、このリアルな「反応」を分析したほうが自分や状況をよく知ることができると考えています。特定の現象をあとで分析したときに、特定の部分に反応していることがよくあります。こういうときに必ずと言っていいほど、何か「思い込み」があります。特定のイメージを作っているんですね。僕も自分にとって都合のいい思い込み、つまり「妄想」をして失敗することがあります。

上述したように「会いにいったけど、なんか違った」というのも、特定イメージの思い込みがあったりします。「この人はこういう人だ」とか「この人に会えばこうなるに違いない」みたいな思い込みがあるんですね。特定のイメージで固定されているとトラブルが起きる可能性が高くなります。だいたいのトラブルは「イメージの固定」から生まれます。なので、失敗したなと思うときは、だいたい固定したイメージ(特にセルフイメージ)を壊す必要があります。

発信者側が意図的に固定したイメージを提供している場合もあります。「自分はこういうキャラです」「私たちはこういう存在です」といったものです。セルフイメージの押し付けです。高専のころ「正和(まさかず)」という名前の同級生が、最初に「マチャマチャって呼んでね」と自己紹介してきたときに違和感を感じました。僕はずっと苗字で呼び続けました。セルフイメージの押し付けというのは、諸刃の剣です。「こういう人間です」という自己紹介は特定の部分のイメージを押し付けることになります。そして、そのイメージと違っていたときに「裏切られた」「期待外れだった」となる可能性があるわけです。イメージで商売している人はすごいと思います。それでいて、今後かなりキツくなってくると思います。なぜなら、ジョージオウェルの小説「1984年」のような超監視社会になってきているからです。

特定の部分を押し付ける、キャラクター戦略は実体をもつ人間にはきついんですね。人間なので、うんちもしますし、怒ったりもします、問題を起こしたりもします。そういった生の情報が今まではバレなかったのですが、現代社会では生きている限り誰かの目に映り、情報が一気に拡散されるので、「特定の部分だけを見せるイメージ戦略」というのはけっこうきついんですね。キティーちゃんやミッキーのように、完全に二次元になれればよいのですが、そうじゃない場合は行動すればするほどリスクだけが大きくなります。

なので、占い師で「自分はこういう占い師です!」みたいなキャラ付けをして発信している人は、正直その時点で現状や未来が見えていないのではないかと心配になります。特定の部分イメージだけを見せて暮らすというのは、これからの時代かなりきつくなってくるからです。バーチャルな存在として本名も明かさずに活動するか、腹をくくって汚い部分も見せるほうが健全で長期的に人間として暮らしやすくなると思います。とりあえず、ギッチギチにイメージやキャラを固めて押し出すより、多少余白や未知をもたせておいたほうがやりやすいんじゃないかなと思います。

あれ、話が脱線に脱線を重ねすぎたせいで、何が言いたいのかよくわからなくなってきたぞ。

えっと、まぁあれですわ、「イメージの固定」は取り扱いが注意ってことですね。受け取るときも、発信するときも、セルフイメージも、固定するとあんまりロクなことがないってことですね。まぁいいこともあるんですけど、悪いことが起きた時に瞬時にイメージの破壊ができるか…という話ですね。イメージを破壊するために、僕も次に正和くんに会ったら「マチャマチャ」と呼んでみたいと思います。

おいおい、最初に「誰がブログを読んでいるかわからない怖さがある」みたいなこと言ってたじゃん!この記事もマチャマチャ本人が読んでいるかもしれないぞ?こんなこと書いていいのか?大丈夫なのか?同窓会で会って気まずいことにならないか?

へっ!気まずい空気なんかにビビってたら、ブログなんか書けねえぜ!ばーか!あばよ!

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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