実際に太占(ふとまに)で占いを行ってみましたので、その背景と結果を改めてまとめていきます。
参照記事▶︎【太占(卜骨)は本当に当たるのか?】検証のために占います!
占いと儀式の混交
サラッとご説明しておきますと…
まず、太占は古事記や日本書紀にも記載されているように「日本古来の占い」という認識が強いです。実際に弥生時代ごろから行われていた形跡が多数見つかっていますので、これは間違いなさそうです。
しかし、「日本発祥の占い」かというとそうではありません。資料などを読み漁る限り中国から入ってきています。そして、その中国が太占の発祥かというとこれも怪しくて、さらに西側の中東もしくはモンゴルあたりから入ってきて牛の骨を焼いて占うという方法にアレンジしているようです。
上記の参照記事でも触れていますが、九世紀〜十世紀あたりで特定の組織や特定の人物のみが自分たちの優位性・特異性を示すために、国内全体で行われていた骨や亀甲を使った占いを一斉に禁止させ、自分たちが行っている方式のみが正しいという体制を作り上げています。あえて儀式化・複雑化させるのは特定の人たちの権威性保持と思い込みパワーを強めるためだったのではないかと考えています。
なぜそのようなことが言えるかと言うと、まず「吉凶の判別」が非常に曖昧だからです。吉が出るまで占った説もありますし、凶が出ないように占ったという説もあります。
つまり、純粋に「この先どうなりそうか?」「自分は今どのような状況なのか?」といったことを自分たちが見ている視点とは異なる視点から分析したり予測することよりも、特定の方向性への思い込みを強めたり、確認作業のために用いられていた可能性が高いようです。
そうなってくると、それは「占い」というよりも「儀式」とか「呪術」と呼んだほうが正確ですし、海外から見た亀卜や太占に関する論文にも「儀式色が強い」という風に評価されたりもしています。
▶︎Flad, Rowan. 2008. Divination and Power: A Multi-regional View of the Development of Oracle Bone Divination in Early China (占いと権力:多地域から見る “占い ” 初期中国における骨を使った占術の発展)
実用性を知りたい
まとめる必要もないですけど、簡単に図にするとこんな感じです。
太占は右側の「特定の思い込みを強める」要素のほうが強いようです。
「状況や未来を知る」の項目に「形式や儀式の必要性低」という項目を加えています。
例えば、あなたが急に激しい腹痛に襲われたとします。一刻も早くこの腹痛(状況)をどうにかしたい。対処法や指針が欲しい。そんなとき儀式などを行っている余裕はありません。準備や形式が複雑でモタモタしていると「こっちは早く知りたいんだよ!」となりませんか?(実際はトイレか病院にかけこむと思いますが…)
それでいて「この腹痛…吉か凶かはわかりませんが、吉だと思います」と言われたらどうでしょうか?「なんだそれ!」という風になりませんか?
つまり「思い込みを強める方向性」はある程度、時間的および精神的に余裕がないと使えませんし、本当に困ったことがあり緊急性が高い状況での実用性は低くなるはずです。
僕は特定の立場からの感想や感情をぶつけるのではなく、立場を抜きにフラットに議論したいだけなのです。そして、議論していても実際のところは分からないので、「本当に当たるのかどうか?」「どのようなことがわかるのか?」「どのようなやり方が最適なのか」といったことを検証するために骨を削って実際にやってみることにしました。
立場は特定の世界の「内部」にいると発生します。しかし、そのものがどんなものなのかを吟味するには「外部」から観察する必要があります。
特定の立場の人たちを否定したいわけではなくて、単純に「占いとしてどうなのか?」「機能や仕組み」といったことを「立場」を抜きにして知りたかったのです。