子どもはなぜこんなに可愛いのか冷静に分析してみたら、すごくヒントがあった。

今日久しぶりに我が子たちに会ってきました。

3歳の娘と、1歳の息子。

久しぶりだったにもかかわらず、キャッキャっとくっついてきたり、抱っこをせがんできたり。

妻のおかげもあり、パパっ子に育ってくれていて、本当にありがたい。

おそらく僕が仕事や外に出て会えない間に、妻が「パパの悪口」を吹聴していたら、ここまで子ども達はパパ、パパとはなっていないのではないかと思います。

子育ては大変だけど、やっぱり一緒にいると楽しい。この楽しいひとときには中毒性があって、本当に油断してると「子どもや家族としか過ごさない人間」になる。

それはとても幸福なこととも言えるし、この「甘美な幸福な空間があるなら、これ以上人間関係増やさなくてもいいかな」と思えてしまう瞬間があるほどです。

で、この「子どもや家族がいる甘美な幸福」を抱くのは「なぜ」なのかをちょっと考えてみました。

溺れながらも冷静に考える。それって溺れているの?って感じですけど。

言語化したらまた何か見えてこないかなと思い筆をとりました。

 

絶対的信用

インフルエンサー界隈では「お金より信用を築け」「お金は信用の尺度だ」といった言説が目立ってきており

「信用度」というものが最近、またフィーチャーされ始めているように見えます。

もちろんこれまでも「信用」の重要性はあったのですが

どちらかというと彼らが言う「信用してもらう対象」というのが「企業」や「社会」ではなく「個人」や「小さなコミュニティ」からの信用というニュアンスで用いられている気がします。

大きな存在からの信用を1個集めるのではなく、小さな信用を100個集めるような、コンパクトで小回りのきく「信用獲得」がこれからのビジネスにつながる、といった感じです。

 

で、今日子ども達と遊んできて感じたことは

子どもは親を100%信用して生まれてきて、育っていく…ということです。

冒頭にもあったように親が子どもを洗脳することは容易です。実際自分もすでに知らず知らずのうちに洗脳している可能性があります。

妻が「パパはダメな人」と子ども達に言い聞かせれば、子ども達はおそらく「パパはダメ」というレッテルを自然と僕に貼るはずです。

真っ白で純粋な状態の子ども達は、とにかく身近な保護者である親を「信用」していかないと生きていけません。

母親が運んできた夕食に「毒が入っているかもしれない」などといちいち疑っていては生きていけないのです。子ども達は疑うことすら知らずに、与えられたものを体に入れます。

当たり前でしょと言われればそうかもしれませんが、これがすごいことなのです。

米国の国家機密情報を掴むため諜報部員として陸軍中野学校で専門的な訓練をしている妄想を重ねてきた僕にとって、他人から出されたご飯に毒が入っていなか確認せずに食べるなど言語道断です。(普通に食べますけど)

食べ物に限らず、病気になったときや、何か事故があったときも、まず「親」を頼ります。頼るしかないのです。

頼るということは「なんとかしてくれる」と期待しているわけです。

「子どもがなぜこんなに可愛いのか?」と考えたときに僕が出した答えは

この「子どもからの絶対的信用」です。

育児本なんかをパラパラ立ち読みしていますと尾木ママあたりが「親は何があっても子どもを信じてあげなきゃいけない」と口酸っぱく言っています。

これ、わざわざ書かなきゃいけないってことは、やっぱりどこかで我が子を信じてあげられていない親(大人)が存在するというわけです。

でも、逆に子どもは親を信じざるをえません。

なので幼稚園児や小学生向けの雑誌に「なにがあってもパパとママをしんじてあげよう、それがそだててもらうコツだ」なんて記述は一切ありません。

 

何度も言います。

子どもは100%親を信じています。

これが「家族による甘美な時間」の原因、そして子どもが可愛い理由です。

 

中学生、高校生、大学、社会人…と社会に出て、いろんな人たちと会う機会が増えます。

すると「裏切られる」とか「評価されない」とか、そういった「自分への信頼」を感じられない経験も出てきます。

なんだよ。自分ってそんなもんなのか。あの人には信用されていなかったのか。あれ、もしかして自分は誰からも信用されていないのではないか。

そのような葛藤が生じるときもあるでしょう。

だからこそ「自分への信用度100%」の子どもの存在が光り輝いて、可愛くてしょうがない存在になるのです。

もちろん信用されているからこそ辛い時もあります。責任も100%自分に付きまとうと思ってしまうからです。

大きくなるにつれて自分への信用度は薄れていきます。100%親を信じなくても他に信じるものができれば、それでいいです。

(個人的には自分を信じられるようになってくれれば親を信じなくてもいいかなと思っています)

だからこそ、まだまだ手がかかる「親への信用度100%」の時期はとてつもなく子どもが可愛い時間なのだと僕は思います。

 

ベンチャー企業に見た子どもっぽさ

とある東京のベンチャー企業さんとお付き合いさせて頂いてきたのですが

スピード感が違うんですよね。

最初はどちらかといえばこちらが知識や情報を与える側だったのですが、半年ほどで自分たちも知らない業界情報や研究結果を教えてくださるようになったのです。

僕の不勉強もあるかと思いますが、その会社のすごいところは吸収量が凄まじいのです。

商談していて感じるのは社長をはじめ社員の方々が「子どもっぽい」ところなんですよね。

「何も知らない」から「教えて欲しい」というハングリー精神が強くて、業界の変な常識に染まっていないせいか、「できない」って思っていないんですよね。

「知らない」ってめちゃくちゃ武器になるんだなって。

下手に知識や経験があると「できること」と「できないこと」の分別ができてくるようになる。

これは効率化を図る上ではメリットはあるのですが、そこにイノベーションは生まれません。

誰もが「できない」と思ったところにビジネスチャンスは転がっていて、人間なんてまだ「できること」の方が圧倒的に少ないにも関わらず「できない」って決めつけてやらないことが多い。

このベンチャー企業の方と商談していると「できる」「やってくれる」前提で話を進めているんですね。

「やれること」を信じて話をもってこられるんです。

相手から「あなたならできるでしょ」というビリーブを感じられると、自分もできると思ってしまう。

そしてついつい頑張ってしまったり、大事な情報共有したり。

子どもたちは「ご飯出してくれるんでしょ?当たり前でしょ?信じてるよ」という前提があるから、全力で泣く。遠慮なく腹減ったと叫ぶ。

商談していて、この感覚とすごく似ているなって感じたんです。

自分がやりたいことに素直で、それを信じている。

そして、それを子どものようにまわりの人たちにも向ける。

我が子とベンチャー企業の成長スピードを間近で見て、確信に変わりました。

 

「素直さ」と「他人を信じる」こと。

この二つをもっている人は何歳になろうと、凄まじく成長できる。

 

みんな、これからもよろしくね。

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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