今回のスペインモロッコの旅で見たトレド・グラナダがある地域はイスラム・キリスト・ユダヤと複数の思想に支配された歴史をもつ地域です。
異なる思想同士が絶妙なバランスで反発・受容を繰り返しながら発展し、現在もひとつの「街」の中で人々は共生しています。
トレドやグラナダの街を歩いてみて感じたことは、何かを生み出し発展させるためには「異を受容すること」が大事なのではないかと強く感じました。
これを読んでくださっているあなたも僕も、父親と母親という異者同士が交わることで誕生しています。
女性は男性の情報を自らの体内に取り込みます。それを受容…受精することで新たな命が生まれてきます。
つまり、女性は他人の身体とそこから出てきたものを受け入れるわけです。
冷静に考えると凄く恐ろしいことをしているような気がします。
もちろん反発・拒否することもあります。でも、新たなものが生まれるときには、必ず異を受け入れる必要があります。
我々人間の生命の連鎖は「異を受け入れること」の連続で成立してきたということなのです。
毒は最高の栄養ドリンク
自分が嫌な、拒絶したいという反発の度合いが大きいほど、新しく生まれてくるものは大きいのではないかと思います。
多くの人間にとって最大に受け入れがたいものは「死」だと思います。仏教やヒンドゥー教では、自らの肉体に苦痛を与える修行をしている人たちがいます。
僕はこれまで自らに苦痛を課す人たちの精神状態をよく理解できていませんでしたが、「死」に近く受け入れがたい苦痛を受け入れようとすることで新たな世界を見出そうとしているのかもしれないと考えると、少しやってみたいなという気持ちも湧いてきました。本当に少しだけですが。
「良薬口苦し」という言葉がありますが、かなり極論ですが「苦痛は薬」で「快楽は毒」とも言えます。
もちろん受け入れて初めて薬になるので、受け入れられないような無茶なことをして死んでしまうのも無意味かもしれません。
時々僕も体調を崩しますし、入院したこともあります。病気は本当にかかりたくないです。健康が一番です。
でも、病気になるということはもしかすると「君はもっと苦痛を受けて成長・発展したほうがいい」というメッセージなのかもしれません。
そんなメッセージ誰が送っているかは知りませんし、「未読スルー」したくなるかもしれません。
でも、大体体調を崩すときってだいたい何かが疎かになっている、何かしら「甘さ」があったときに多い気がします。
「嫌だ!」 「逃げたい」と拒絶したいもののなかにこそ、成長の種や発展へのヒントがあるのかもしれませんね。
専門分野を伸ばす上策はその専門分野をやめること
もしあなたが何かひとつの分野をもっともっと深く掘り下げてよりエキスパートになりたいと思うのであれば、それを一時的にやめてみるのもひとつの手です。
過去の日記でも書いたと思いますが、僕は熱心に勉強してきた手相に「限界」があると感じ、自分が今まで専心してきた手相を強烈に嫌悪し、手相占いをやめていた時期があります。
それでも占いが好きだったのでいろいろ他の占いを見て回っていたころ「気学」と出逢いました。
気学を学びはじめてしばらくしてから、意外なことにそれまでやめていた手相の新たな発展性が見えてきました。
「手を見て家が分かり、家を見て手が分かる」という手相と家相の結びつきができたことで手相の新たな活用の道が開けてきたのです。
極めたい、掘り下げたいと思うことがあるのであれば、それ以外のことにも目を向け「異を受け入れること」でより深掘りできると僕は思います。
その専門分野を極めたいと思うのであれば、その専門分野をやめる…つまり、とっても不思議なことなのですが「手放すことで逆に手に入るものが増える」ということなのです。
手放すってすごい勇気がいるし、苦痛を伴いますからそう簡単に「捨てること」「やめること」を受け入れられないんですけどね…
ただ、今回に旅で「異を受け入れ交わること」のパワーを肌で感じ取り、より確信が堅くなったので、僕ももっともっと幅広く深く他者・世界と交わっていかなければいけないなと思いました。
帰国してからポケモンの新作を買って冬は引きこもろうと思っていましたが、そうは言っていられなさそうですね…。
フェズからカサブランカ行きの電車に揺られながら…。
にしけい