「手相占い」に認知度は占いの中でもかなり異常で。ヨーロッパ・中東には古くから手相占いの文化があるし、北米はもちろん手相の研究者が何人もいてプロファイリングのひとつとして研究している人たちも。中国も掌紋学として東洋占術と絡めた手相術がある。まだ全世界まわれたわけではないけど、多くの国で今も手相の認知度が高いことがわかっている。カンボジアの川の上に家が建っているような田舎でも「手を見て占う仕事をしている」というと、50代ぐらいの髪がボサボサの女性が疑いもなく手を差し出す。ナスカの地上絵を見るために南米に行った時も、イカ空港の職員全員の手相を見たし、モロッコの迷宮都市フェズでもイスラム教徒が多い中「手相を見られる日本人」ということで街にいるあいだはちょっとした有名人になり、手を見て欲しい人たちが集まってきた。何度も言うが「手を見て何かを占う」ということが世界的に浸透しているし、何なら人間自体が「手を見れば何かわかる」と刷り込まれているかのようだ。
手相は認知度の高さと同時に「手相はデタラメだ」という意見もある。認知度が高いだけあって否定派の「風当たり」も厳しい。逆に手相を信じている人たちの信頼度も異常で。「手を見れば、過去も未来も性格も全部わかる」信仰があるように感じる。誰かの手相を見て占った経験がある人ならわかるかもしれないが、「手相占い」というと、とにかく何も言わず手が出てくる。そして「何か知りたいことがありますか?」と質問すると、ようやく「えっと、金運と今後のことすべて」といった具合に漠然とした質問が出てくる。「手を見れば全部わかる信仰」があるから、このようなことが起こる。多くの占いは「悩み」「気になること」があって初めて「占う場」が起こるが、手相はハードルの低さも加わり「特に悩みがなくても手を見てもらえれば何かわかるかもしれない」という認識が強い。これは世界的に、である。
この「手を見ればすべてがわかる信仰」があるがゆえに、「手相はデタラメだ」とか「はずれるから詐欺だ」といった風当たりの強さ生じているようにも見える。つまり、なぜか「手相占い」に対する期待度が高い分、ハードルも高いのだ。それゆえ手相占いを始める人たちは、実は「最初から高いハードル」を課せられた状態で占うことになる。この事実に気づかずに参入して挫折する人は多いと思う。しかも、一般的な手相占いの「暗記する系」の仕組みだと柔軟性が低いがゆえに「どうすることもできない」ことが多い。つまり高すぎる期待に答えるための、システムが整っていないし、流布されている手相占いをまともに使うと言葉が出て来ずに会話が詰まる。
1.手相占いは認知度と期待度が異常
2.手を見れば全てわかる信仰がある
3.一般的な手相占いの仕組みではこれらの期待に応える仕組みができていない
4.それゆえ手相に対する風当たりも厳しくなる
まず、この「手を見れば全てわかる信仰」は今に始まったことではなくて、紀元前ぐらいから始まっていると思う。実際に手を見たら全てわかる人がいたのかもしれないし、そういった仕組みがあったのかもしれない。しかし、おそらく占い師側、もしくは手相占いを広める側の人間たちが「話を盛って」広めている可能性が高い。いや、書籍を読み漁る限り確実に話を盛っている。占い師が自分の生計を立てるべく、集客のために「手相はすごい」と話を盛っている風潮もあるし、出版社も手相の書籍をせっせと売ろうと「手相は全部わかる」というようなことを喧伝してきている。これは手相占いに限ったことではないけれど、とにかく「自分がやっている占いがすごい」「自分が学んでいる流派や先生はすごい」と話を盛る傾向がある。
実際にそういった人物は稀に存在する。人物の能力だったとしても、その人物が手相を使っていた場合「手相すごい」という手相信仰の火種になる場合もあるだろう。意図的ではなかったとしても、悪意がなかったとしても「手相はすべてわかる信仰」が広まる可能性はあるし、僕が見ている限り「かなり意図的に」この信仰が作られているように見える。つまり「手相占い」のハードルを上げてきたのは、占われる側ではなく「占う側」だったりする。もしくは「手相を広めようとした側」だったりする。
他の占いを学んで、実占してみると非常にこのハードルの高さを痛感するし、かなりマゾじゃないと続かないと思う。「お手軽手相入門☆」というようなビギナー向けの手相本はいまだに次から次へと出版されるが、あの、マジで「お手軽」じゃないっスよ。お手軽とか入門とか言えるのは、このハードルの高さを知らない人たちに向けて本を売りたいからであって、実際本気でやろうとしたら全然そんなことないんです。
手軽ゆえに占いの館とか某中華街の占い店では「掴み」として手相を使う占い師が多いですけど、それは認知度の高さを利用した「客引き用」の手相なわけで、さらにそこから「質問に答える用の別の占い」を使って占う人が大半。なぜなら従来の手相占いは「質問に答えるための仕組み」ではないからです。
この期待度(ハードル)の高さに気づくまでにけっこうかかったけれど、この期待度に応えるために僕は試行錯誤してきたのかもしれない。本当に手相占いは世界的に見て異常な占いだと思う。まず、その認識をもって取り組んでいる人が少なすぎるし、古今東西集客材料としての側面が強くなりすぎていて本当に悲しくなる。しかし、ここで「手を見てすべてがわかる」という期待に応えられるシステムができれば、新たな手相の展開が見出せるはずだ。
というわけで、手相占いベーシック講座ではそういった「手相の立ち位置」を踏まえた上で、新たな手相の使い方をお伝えしている。まず「手相で占えるようになる」には、こういった従来の「手相の認識」を破壊していく必要がある。
僕自身、手相で食ってきたし、今も占いで家族を養っているからポジショントークになってしまうかもしれないけれど「話を盛らない実際のところの手相」を語っていきたいし、手相の認識と可能性を変えていきたい。
にしけい