「怒り」や「悩み」は前進しているからこそ生まれてくる

高専時代、同級生にタカセという男がいて。彼は入学当初メガネに坊主という出立ちだった。ある体育の授業。グラウンドで50メートル走のタイムを測る。学校には指定の「体育用の外履きシューズ」があって、それを着用しなければならなかった。しかし、タカセはそのシューズを忘れてきた。体育教諭の老人は「お前、なんでその靴なんだ!シューズがないなら裸足で走れ!」というようなことを言ってタカセに注意をした。

すると、タカセは「お前の言うことなんか聞くかよ!」と反抗心剥き出しで食ってかかった。当時僕は「彼のこの謎の反抗心エネルギー(?)は何なのだろう?」と非常に興味が湧いた。確かに、専用シューズじゃなきゃ走れないというのもよくわからない。だけど、とりあえず裸足でも可という提示があるのにもかかわらず「お前の言うことなんか聞くかよ!」と反抗心を見せるタカセに、なぜか僕は惹かれるものがあった。僕は「よくわからないけれど、エネルギッシュなもの」が好きだ。理屈に合わない、論理性に欠けたエネルギーは打算が入っていない分、何かこう美しさのようなものを感じる。タカセの突然の「お前の言うことなんか聞くかよ!」というセリフはそれを感じさせるには十分だった。

しかし、体育教諭の老人が言い放った「じゃあ、お前には単位やらん」という一言で、状況は一変した。タカセは自慢のナイキのシューズを脱いで、裸足で走り始めたのだ。何なんだお前は。そこは、あの、あれだけイキったんだから、貫いてくれよ。でも、それはそれでタカセの面白いところでもあった。「単位はやらん」この一言でタカセは急に人間社会に馴染んでしまった。チンパンジーがキバを剥き出しにして威嚇していたのに、麻酔を打たれたかのように、急に大人しくなってしまった。あのときは本当に腹を抱えて笑った。

高専は16歳からの多感な時期の5年間をクラス替えなしで過ごす。だからすごく仲良くなる。僕は通学生だったけど、寮生は寝食もともにするのでなおのこと濃い人間関係になる。この前、高専の友達の結婚式で、タカセにあのときの体育の話をした。人は思わぬことを覚えていたり、覚えていて欲しくないことを覚えていたり、本人にとってどうでも良いところを覚えていたりする。タカセにとっての「体育のシューズ事件」もそんなことのひとつだったかもしれない。

そんなタカセも今では2人の子に恵まれ、そこそこ大きな製薬会社でしっかり仕事をしているらしかった。「お前の言うことなんか聞くかよ!」なんて言っていたヤツが二児の父か〜とニタニタ笑っていたら「今も会社で上にけっこう楯突くよ。だけど、査定評価下げるぞって言われて大人しくなるんだわ」と。「変わってねぇな」とまた笑いが起きた。

大人になると「これをやったらどうなるか」とか「あとさき」を考えた行動が増える。それは良いことかもしれない。生きていく上では必要不可欠だと言える。だけど、それと同時に「さびしさ」のようなものを感じることもよくある。友達の結婚式などで同級生に会うと、結婚して家庭をもったり、会社の大事な役割を任されていたり…大人になる人が年々増えていく。僕にも家庭があるけれど、何かこう彼らとのあいだに「ヌルッとした馴染まないもの」があると感じる。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、その正体はおそらく「反抗心エネルギー」なのではないかと考えている。理屈とか後先を抜きにした「お前の言うことなんか聞くかよ!」というあのエネルギー。僕の原動力の根源はまだ、これな気がします。

中身がまだ小学生なんですね。だから「お前はこうだ」とか言われると「うるせー!ばーか!」という反抗心がどうしてもあって。人には「素直な方がいい」と言っているくせに、僕自身は「お前の言うことなんか聞くかよ!」と言っていたあのころのタカセと中身がほとんど変わらない。でも、これはこれで素直な態度なのではないかと思ったりもして、なんかもっと素直にやっていってもいいんじゃないかなと思ったりもしている。大人のふり、人間のふりをするのはもういいかなと。

でも、「怒り」ってすごく大事なんですね。これまでコロナの件で多くの人は「おそれ」が強かったんです。でも、世相を見ているとそれが「怒り」に変わってきている。2021年に入って、政治とかマスコミがいろいろミスったおかげで「怒り」が強まってきている。これってすごく大きな前進なんですね。

けっこう「イライラ」って悪いイメージをもたれがちですし、確かにイライラしないことに越したことはないんですけど「かなしみ」や「おそれ」よりも一歩進んだ感情なんです。何に向かっているかと言うと「怒り」が湧くと「具体的行動」に向かい始めるんですね。だから現状が変わるための兆しなんです。

不快なんだけど、それに理屈がついてこないから、どうしたらいいかわからない。でもそれは「前に進もうとしているから」起こる感情なんです。未知の世界を、初めての世界を、挑戦しようとしているからこそ、悩むし、迷う。逆に僕は「悩まない」「迷わない」という状況になったら終わりだと思うんですね。前に進まない、成長しない。だって「今までやったことがある」ことって悩まなくていいんですよ。だから「悩みがない」なんて言う人はヤバいんですよね。もちろん表面上は「悩みがない」と言ったりしますが、本当にそれがなくなったら終わりなんですね。

アンガーマネジメントとか言って「怒りをコントロールする」なんて言いますけど、そんなことしなくていいんじゃないかと思うんですよ。もちろん不機嫌な状況は空気を悪くするし良くないですよ。でも、だからといって「怒り=悪」と決めてしまうのはちょっとなんか違うんじゃないかと思うんです。きっとその怒りのなかに「純度の高い自分」があるはずだから、それを誤魔化したらダメなんですよ。「おとなしい」=「大人しい」なんですけど、「大人になる=正しい」という人は、それがその人たちにとって都合がいいからなんですね。支配しやすい。コントロールしやすいわけです。

プロフィール写真では黒い服を着てスマし顔していますけど、全然「怒り」とか「反抗心エネルギー」がなくなったわけではありません。僕はタカセの分まで「お前の言うことなんか聞くかよ!」と言い続けてやろうかなと思います。と、なんかタカセが死んだような空気になりましたが、彼はたぶん今日も元気に上司にほどほどに楯突きながら生きていると思います。まぁー「査定評価」って言われたらボーナスに響くし、そりゃあ大人しくしますよね。僕も会社員時代同じように「査定下げるぞ」と言われたことありますが、副業の占い師をしていなかったら「給料別に下がっていいですよ」とは言えなかったです。意外と「査定下げていいですよ」と言ってもちゃんと最高評価つけてくれたので、あれは(半分は)脅し文句だと思うんですけど、やっぱりなんか麻酔を打たれたようにキュッとなりますよね。

 

 

話がいったりきたりしちゃいましたが、今日の結論です。

 

体育シューズは忘れないほうがいい

 

これに尽きると思います!

以上!

 

にしけい

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西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。 商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。詳しくはこちらから。

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