どうも、にしけいです。
5月から手相教室の2期生がスタートしました。
独学で得た知識や実際に鑑定から得たデータをベースに
1回の授業で3時間ほどみっちりお話させて頂いています。
http://nishikei.jp/teso-kigaku-school
授業の中で1期生からも、2期生からも出てきた質問をご紹介します。
指・線の太細長短、丘の盛衰がわからない。
「○mm程度」とか「△△に対して○分の1の大きさ」とか
具体的に数字で説明するように心掛けてはいるつもりなのですが
僕の教え方をもっと工夫する必要がありそうです。
どの生徒さんからもこの質問が出るということは”線や丘のパラメータの大小の判断”は
手相を学び始めた人が最初につまづきやすい難関であると言えます。
ギターでいうとFコードのような初心者泣かせの関門。
これをクリアするにはどうしたらいいのでしょうか。
僕もつまづきました
実はこの「大きい小さい、長い短い」といった判断がつかないのは、僕もそうでした。
手相の写真を独自に集めて、1枚1枚分析していくのですが
本に書いてあるようなパラメータの大小の判断がなかなかつきませんでした。
しかし、しばらくその作業を続けていると
自然と本に書いてあるようなパラメータの差を理解することができるようになりました。
比較こそ学問と教養の生命
ここで記事のタイトルにある新渡戸稲造の言葉が出てきます。
「”学問のすすめ”って福沢諭吉じゃないの?」と思うかもしれませんが
個人的には新渡戸稲造の方が心を打たれるいい言葉を残しているので、オススメ致します。
そうなんです、大事なことは”比較する”ことなんです。
違いを意識することが第一歩
手相の勉強を始めた人たちは
それまで「手のシワってそんなに違いがないんじゃない?」と思って生きてきたと思うんです。
つまり、だいたい同じようなものだと思い込んで
その”違い”を意識せずに暮らしてきたと思うのです。
例えば
犬を飼い始めると同じ犬種でもそれぞれ個性があることに気づいたり
外国人の顔が区別がつかなかったのがつくようになったりするのと同じような感覚です。
「人の顔は違う」と意識しながら人間を見て初めて”比較”が生まれ
「この人は目が細い」とか「あの人は鼻が高い」といった判別が自然と出来るようになるのです。
ひとつの手ばかり見ていてもわからない
ひとつの手や線を見て、その手の特徴を議論するのは極めて難しいことです。
見たこともない昆虫を目の前にして
「この個体は大きいか?」「この個体の足の長さは標準的か?」
といった議論をするのと同じようなものです。
同じ種類の昆虫が2匹以上いて初めて、それぞれの個体の特徴を把握することができるのです。
ひとつしか知らぬ者はひとつをも知らぬ
手相を学んでいるいない関係なく
新渡戸稲造の言う「比較の重要性」はいろんな場面で役に立ちます。
例えば、初めて出来た彼氏を評価するとき…
彼のルックス、性格、やさしさ、ステータス…など
1人しか”男性”を知らなければ、その人がどういう彼氏なのか評価できません。
2人目の彼氏が出来て初めて
「ああ、元カレはいい人だったのね…」とか
「今の彼氏はキスが下手だなあ…」と判別がつくはずなのです。
もちろん、「初めてできた彼氏と結婚する…」というフ
ァイナルファンタジー(究極の幻想)もいいかもしれません。
しかし、比較した方がより良い相手を選びとることが出来る可能性が高まります。
1つのものしか知らないということは世界中に八百屋が1店舗しかないのと同じで
平気で1玉8万円のキャベツを購入するような危険性を孕んでいるのです。
とにかくたくさんの手相を
ということで、手相を勉強中もしくはこれから勉強しようという方は
とにかくたくさんの手相を見てより多くの情報を集めてみてください。
おそらく、50人ぐらい鑑定したあたりからパラメータの大小の「判別」が付くようになるはずです。
どうしても分からない場合は素直に
比較の重要性を著書で述べる新渡戸稲造でさえ
“女性は男性の算数的理解力を遥かに超えた直観力をもつ”と苦悩しております。
「少女」をひっくり返した漢字「妙」は
少女の神秘性・不可知をそのまま表す…といったことも述べており
(現時点で)比較しても分からないものはウンウン悩んでも一向に分かりません。
もし「手相を見て!」と言われて何を言ったらいいのかわからないときは
素直に「知識不足のため今はわかりませんが、後学のために手の写真を撮らせてください」とお願いしてみましょう。
手の甲側の写真もお忘れなく。年齢と持病などのデータも分かれば一緒に添えて保存しておくと、それが大きな財産になると思います。
手相を学び始めて7年目になりますが、僕はこれを今も続けています。
にしけい