僕の本棚には「これは絶対に手放したくない」と思わせてくれるような本を並べておくスペースがあります。このスペースには現在数冊の本が並んでいます。これらの本は何度読んでも発見がある本で、独自の理論を追求している姿勢が伺えます。僕はこのような本を「純度が高い」と評しています。それが正解か不正解かはさておき、自分なりに矛盾を抱え込みそれに対して自分なりに模索した結果出てきた言葉で綴られている。そういった本に価値があると考えています。
これらの本の著者は誰なのか。よく質問されます。最初のうちは◯◯という方です。と答えていたのですが、多くの人が「そのような人は知りません」となります。実は僕自身、好きな著者(著書)が見つかると、その著者について調べます。今生きている人なのか、何をしている人なのか、他に本は書かれていないのか…。場合によっては直接アプローチを図る場合もあります。気になったらとことん調べないと気が済まないのです。しかし、彼らの情報は調べても調べても出てこないのです。
出版社や書店に問い合わせても「わからない」「知らない」どころか、怪訝そうな顔で「にしけいさん、あの人の本が好きなんですか…あの人の本、何書いてあるかさっぱりだわ!占いに役に立つの?」なんて言われることもありました。僕が追い求めている本を書いている人たちは情報も出てこない上に「意味がわからない」「頭が狂ってる」ぐらいの評価をされるのです。でも、僕にとっては最高の本なのです。
大事なものほど表には出てこない
最初は僕自身がおかしいのかと疑いました。感覚がズレているのか。なぜこの本の凄さ・ヤバさをわかってもらえないのか。大好きなアーティストについて「この前のライブ行った?すごかったよね!新しいアルバム聞いた?」というように語らう同志が全く見つからないのです。どうしても教えて欲しいと言われて本のタイトルを教えても「意味わからなかった」と、全然その本や著者について熱く共感できる人がいないのです。一人だけ生まれてくる時代を間違ったような感覚に陥ることもありました。正気にもどる(?)ために、僕が絶賛する本を「さっぱりだ!」と評した人物が推薦する本を読んでみたこともありました。しかし、全くおもしろくなかったのです。
誰にも知られていない。検索しても全然情報が出てこない。むしろ意図的にその著者の情報が消されているようにも見えます。本人が消している可能性もあります。なぜこんなに面白くて、すごい考えをもった人が表に出てこないのか。有名になっていないのか。むしろ有名な占い師や占い研究家が書いた本でも中身がイマイチなものもたくさんあります。「名実ともに」という言葉がありますが、占い業界に関して言えば「名実ともに」という人物はいないのではないかと考えています。むしろ「すごい占い師さん」ほど、表に出てこない、表に出てこれないのです。
ここでいう「すごい占い師さん」というのは「実」がある人です。どうしても世間一般では「有名である=すごい」という認識をもたれがちですが、占い業界に関して言えば「有名である=実力はそこまで」で、本当に実力がある人は本すら書かず、ホームページすら持たず、活動しています。なぜなら実力があればクチコミのみで食っていけるわけですし、わざわざ自分の技術を他人に漏らす必要もありません。つまり「占い師として」自己主張すればするほど、実力がともなっていない可能性が高いのです。
これは僕自身、非常に耳が痛い話です。プロフィール欄やSNSなどで発信したり、このブログもそうですし講座などもやっている自分は本当にまだまだ実力が伴っていない証拠だと考えています。本当にすごいものだったら自分からアピールしなくても広まりますし、むしろ表に情報を出せなくなります。本来「目標とする人物」というものは、どんな人物像なのかはっきりと明確なはずなのですが、僕が刺激を受ける、憧れる、目標とする人物は、どこでどんなことをしているかわからないけれど、自分でアピールしなくても占い一本で食っている人物…なのです。
本の話からそれてしまいましたが、自分が「いいな!」と思う本やその著者ほど情報がないことを考えると、僕が向かっている方向はどうやら「有名」ではなく「無名」のほうなのだと思います。そのような考えがどこかふわふわとあったのですが、2019年のモンゴルでのテレビ出演をきっかけに確信に変わりました。「有名であること」をうまく活用できればいいけれど、そうでなければデメリットのほうが大きいなと思いました。なぜなら注目されることで「自由」が制限されることが多かったからです。
「有名人になりたい」「有名人に会ってみたい」と憧れる人はいますし、僕もそのような時期があったと思います。しかし、今は全く思いませんし、占いに限って言えば「有名な人や本を出している人ほど良い噂や先入観が先走ってしまいハズレ率が高いのでは?」と考えるほどです。有名になるとき、宣伝されるときって決して悪いを書かないから当たり前といえば当たり前なんですけどね。宣伝だから「自分すごいです!」「この占い師さんすごいです!」って煽るのは普通なんですけど、煽らないと食っていけないというのは「実」が伴っていないのかなと考えてしまうわけです。あんまりこのような話をするとブーメランが自分に刺さりまくって致命傷になりかねないので、これぐらいにしておきます…。このようなことをブログに書いている時点で情けない話ですが、とにかく精進あるのみです。
ヨルシカさんの「盗作」という曲の歌詞に非常に共感するフレーズが出てきます。
化けの皮なんていつか剥がれる
見向きもされない夜がくる
その時に見られる景色が心底楽しみで
そうだ 何ひとつもなくなって
地位も愛も全部なくなって
何もかも失ったあとに見える夜は本当に綺麗だろうから
本当に綺麗だろうから僕は盗んだ
この曲に出てくる「綺麗なもの」が、おそらく冒頭で述べた「純度の高いもの」なのではないかと考えています。「売れる」とか「有名になる」ということを全て捨てて、純粋に楽しむ、純粋に追求する。その先に「綺麗なもの」や「すごいもの」がある気がしています。
というわけで、このブログが突然消えたり、TwitterやYoutubeから僕が姿を消したときは「にしけい死んだんだ」じゃなくて「目指すべき世界に到達したのだな」と察していただけると幸いです。
にしけい