【占う行為の先】すべての現象が「あるべき」と肯定される自由で優しい瞬間

誰かを、自分を、何かを占っていると、時々全ての事象がピタッとハマる瞬間があります。

「すべての現象がしっくりなじむ」瞬間があります。ジグソーパズルの最後のピースのように、「そこ」には「それ」しかハマらない現象があります。

感覚を全て研ぎ澄ませて、全情報を受け取り、ひとつひとつの現象を頭の中でRev(回転)・Review(再見)を繰り返します。身体を対象に全集中させて、なおかつどこにも思考の足を地面に根付かせないように、ピュンピュンと柔軟に情報の回転を繰り返します。そうすると、すべてのストーリーがピタッとハマる「1コマ」のようなものが見えてきます。この1コマがハマることですべてのストーリーの説明がつくし、この1コマではなければ他のすべての説明がつかないような。

例えば、5歳の女の子がいつも枕元に置いて寝る人形が「植木鉢」の人形だったらどうでしょう。よくわかりません。違和感があります。ここにはテディベアがきたほうがしっくりきます。このような「違和感がある」状態を最大限まで「違和感がない」状態まで情報を回転させます。こじつけでも無理やりでも思い込みでもなく「自然に」そこに落ち着くような感じです。

表現として適しているかわかりませんが、僕の頭の中では情報が「回転している」のです。ある意味「すごい辻褄を合わせる作業」なので数理的ですし、ある意味「最適な色を調合しているような作業」なのでアート的でもあります。

相術がエンタメで薄っぺらいもので何の重厚さもないと思っている人もいるかもしれません。しかし、相術の中にもシステムを用いた数理的な処理が存在します。YES/NOフローチャートのように、プログラミングのように、非常に合理的な条件式があって。これらを組み合わせると膨大で柔軟な推理・表現が可能になります。

手を見るだけでお墓の状態が分かったり、話を聞くだけで家の間取りが浮かんだり、そういう話になってくるのです。

そして冒頭に述べたような、「すべての現象がしっくりなじむ」瞬間に立ち会うことがあります。

このとき、僕は「なんと無駄がなく美しくよくできた人生なのだろう」と、その対象者の心情はさておき、その美しさに恍惚としてしまいます。起こるべくして起こる現象、存在すべくして存在する現象。

生きるために貪欲に淡々と姿形を変える高機能性と、そのしなやかな無駄のなさに惹き込まれるような美しさを感じるのです。このすべてがしっくりなじむ瞬間に行き合うと、占いを学ばせてもらって本当によかったなと、これ以上ない喜びに変わります。これでお金を頂けるのは本当に幸せなことだな、と。

最高の映画を観終わったあとのような、一流選手のスーパープレイを見ているような、小説でその「一行」「一文字」を認知した瞬間涙が止まらなくなるような、そういう瞬間に立ち会える。それを特等席で眺めさせてもらっているような。そんなお仕事になることがたまにあります。

何を言っているかわからないという方もいるかもしれませんが、この「あっ」という瞬間に立ち会って欲しくて、それにつながるであろうロジックを伝えるべく講座をしているのかもしれません。

「占う」という行為の中で、そういう「すべてがしっくりなじむ瞬間」に立ち会える人と「あれすごいよね」と同級生のように話をしたくて、本を書いたりしているのかもしれません。

この「すべてがしっくりなじむ瞬間」に立ち会うとその瞬間、僕は自由になれた気がします。点と点すべてがつながった状態だから、その「世界」の中は自由に行き来できる。金属の自由電子のようにすごい速さで移動できる。

こういう瞬間に立ち会うには「集中力」と「柔軟性」が必要な気がします。どれも取りこぼさないように、変な術や流派の枠にとらわれていると絶対このような自由な瞬間には立ち会えません。それだけは間違いないと思います。

僕も必ずしもこの瞬間に出会えるとは限りません。時々です。もっとこの瞬間に出会いたいと思ってこのお仕事をしているのかもしれませんが、単純に「知りたい」という好奇心だけのような気もします。

とにかく、ぴたっとハマる瞬間があるのです。

すべてのストーリーが報われるような、はじめからそうであることが決められていたかのような、1つ1つが肯定される瞬間があるのです。この感覚を共有できる人はまだ出会っていませんが、もしかしたら一生見つからないかもしれませんし、案外いっぱいいるかもしれません。

手段やツールは何でもよくてその人がもっている鍵でしか開けられない扉があるのだと思います。僕の鍵ではその人の扉は開けられない。そういうことなのだと思います。

でも、開けた先は同じところにつながっているのではないかと思っています。そういうすべての現象が肯定される瞬間・世界があって、「占う」という行為(扉)の先にもそういう瞬間・世界があるのです。

そしてこれは僕がすごいとか、誰かが劣っているとかでは全くなく、現象というか事実というか表象自体が美しいのであって、それを引き起こしている要因(意志のようなもの)がすごいのです。

僕はあくまでそれを見させてもらっている1人の観客にすぎないのです。

(飲酒もヤバい薬も新興宗教もやっていません。素で書いてます)

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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