占い師は吉凶を決めるべきか?(相術の美しい世界を知ると決められなくなりました)

占いのお仕事をしていてよく感じること。

占い師が「正しい」とか「善悪」を決めるべきかどうか、ということ。

「幸福か不幸か」とか「良いか悪いか」を決めるには基準が必要となります。

ある一定方向の軸があって、それに沿っているか沿っていないか、という比較があってはじめて幸せか不幸せか、善か悪かを判断できます。

僕はこの「幸不幸」とか「幸運不運」というものを占い師が推し量る必要があるのかと常々思ってしまうのです。

 

鑑定=鑑みて定める

もちろん、自分の行動や将来おきる出来事の是非を「定めて欲しい」という目的でいらっしゃる方のほうがほとんどです。

しかし、事実や行動はどこまでいっても事実であり行動です。そこに善悪や幸不幸は存在しません。どこまでいってもプラスでもマイナスでもなくゼロなのです。

どんなに胸を痛めるような凶悪な事件も、目を背けたくなるような自分に降りかかる災難も、「凶悪」「災難」と決めるには「基準」が必要になります。

これを占いで窺い知ることはできるかもしれません。しかし、そこに必要以上に「悪い」とか「正しい」といった「色」をつけるのは、ナンセンスだと思うのです。

なので僕は「鑑定」という言葉がどうにもこうにもしっくりこなくて「ご相談」という表現を使っています。「定める」ことは僕のお仕事の範疇には入っていないと思うのです。

 

ロスが大きい=悪?

「正しい道が吉って何だよ?誰が決めたんだよ!」という反抗期丸出しの疑問ツイートをしたところ

フォロワーさんからこのようなご意見が。

このツイートもサラッと流せればいいんですけど、そこまで大人になれませんでした。

結局この「スムーズにいかせる」ということ自体が「スムーズにいかせる・効率がいい=善」とする軸があるわけで、それも正直マジョリティが作り出した世間一般的な軸があると思うんです。

そりゃ誰だって無駄なく無理なくスムーズにことが運んだ方がいいと思います。僕だってそちらの道を選びたいです。

なのに、こうやってツイートを取り上げて反論しエネルギーを消耗しているわけですから普通は「良策」とは言えません。

しかし、僕は取り上げてさらに疑問を呈しました。

なぜ、こんなことをしているのか?

それは、こんなことを「したかった」からなんです。

 

願望の蓄積=相

いろんな相術を研究していると感じるのは

「願望」や「意思」がそのまま「相」に表れているということです。

 

「病気にはかかりたくありません」と多くの人たちが願います。

しかし、病気にかかる人の過去の引越し歴や家の図面をたどると、やっぱり「病気になる相」を選択してきているのです。

肝臓を患いやすいカタチの家に、肝臓を患いやすい方向と時期に引越し、最後に手相にきっちり「肝臓の病気になる相」が表れ、実際に聞いてみると「はい、肝炎をやっていました」とおっしゃられます。

何度も言いますが「相」は願望や意思がそのまま表れます。

家やお墓といった「物質性」が強いものほど、それが強烈に顕著に表れます。

そしてその家やお墓のカタチを選んでいるのはその人自身なのです。

驚くほど需要と供給がマッチしているのです。

こうなりたいという「願望」と、それを達成させるための「カタチ」が、驚くほど強烈に結びついているのです。

「人間の魂がその肉体の内に宿るように、彫刻作品のあるべき姿はその石塊の内にあらかじめ現れている」

ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(1475-1564)

 

まさに、これなのです。

他の占いはどうなのかわかりませんが、相術に関して言わせてもらうとしたら

本当に、意思がそのままカタチというシンボルとして表れます。

露骨に、顕著に、強烈に、潜在的願望が浮き彫りになる…それが相術です。

 

「病気になりたくない」とか「売上をあげたい」といった願望はいくらでも言えます。

しかし、口頭で述べている表面的な願望と相から読み解ける潜在的な願望が全く異なることが往々にしてよくあります。

「健康でいたい」と言いながらも病気になる家を選びますし、出世したいといいながらも「出世できない方位」を選ぶのです。

そして、その用いた「相」の通りに「結果」が反映されます。非常にシンプルでシステマチックなのです。

この「相」と「結果」という、需要と供給には全く無駄がありません。パーフェクトすぎて美しさすら感じることもあります。

「3042.5円欲しい」と願ったら「3040円」でもなく「3043円」でもなく、きっちり「3042.5円」がもたらされるのです。

となると先述したような「スムーズな道=善」という判断軸自体が無力に思えてしょうがないのです。

ここまで合理的でスムーズに願望が達成されているのに、それを推し量るということが非常にナンセンスなのです。

 

僕のお仕事=相をみて感動すること

じゃあ、にしけい。

あなたの仕事は何なの?

依頼者の方の相を読む解いてそれを伝えるだけで終わりなの?それってすごく無責任なんじゃない?

もっと「スムーズにいかせるための方法」を提案するのが仕事なんじゃないの?

 

そうです。僕はただのメッセンジャーです。

「相」を見て「こういう意味をもったカタチですね」というお話をします。

意見を求められたら「無駄だと感じますね」とか「僕だったらやりませんね」という「主観」を語ります。しかし、これはあくまで感想です。

あとは「○○したい」という願望を述べられたら、それを達成するような「カタチ」を提案します。

「ここをこういう相にすると、こういう結果になりますよ」とお話します。

ですが、正直これは本業じゃなくて、僕の最近のメインの仕事は「相を見て感動すること」です。

「なるほど、こういうカタチだとそんな結果につながるのか〜ふむふむ」と納得し、求められればその理論や理屈をご説明しますし、教室などでもそういう話をしています。

そしてその「相」と「結果」の「これでもか!」というほどの強い結びつきに驚かされ心揺さぶられる。これが最高に楽しいのです。

非常によくできている「相」というシステムに「善悪」とか「正しい正しくない」とかを決めるなんておこがましいぐらいなのです。

本当に人間の「願望」というものはよく出来ています。

 

わかっていて飛び込むドラマが起きそうなかっこよさ

 

カタチから読み取った結果や未来が「一般的にはキツイ、普通ではない道」であることもしばしばあります。

「このままいくと、こうなりますが、大多数の人はこのルートを選ばないと思います」と述べると

多くの方々が「それを避けるには…」とご質問されます。僕も同じ状況だったらたぶん質問すると思います。

でも、たまに「キツイ未来」をわかっていながら「それは面白い」といって、あえてそのままの道を選択される方がいます。

心底「かっこいいな!」と思います。

「エネルギーを消耗するルート」をわかっていながら、あえて選ぶ。まるで仏陀のような生き方です。

こういう方に「いやいや、その道は”正しくない”ですよ!悪手ですよ!」と言っても無駄なんですね。それ以上のアドバイスは蛇足でしかないんです。

ほとんどの人たちが「気づかずに」自分の行く末を選んでいるんですが、「気づいていて」自分の行く末を選ぶ人たちのかっこよさと、そのかっこいい瞬間に立ち会えることが、このお仕事の醍醐味でもあります。

まるで少年マンガのワンシーンを読んでいるような。そんなワクワク感があります。

というわけで

人間が生み出す「願望」とそこから「相」が出来上がるというダイナミックでパーフェクトなシステムに対して、「正しい」とか「善悪」を定める権利は僕にはないと思っています。

願望に、カタチに、相に、それらを生み出す人間に、僕は惹かれてやまないのです。

僕は「占い師」ではなく、ただの「究理占術研究家」ですから、僕のお仕事はこれでいいと思っています。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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