僕はこれまでの人生の中でとにかくたくさんの人たちに怒られて注意されてきました。
というより、ちょっと他人の気持ちを理解する能力に欠けているようなのです。
鈍感というか。気が利かないというか。お前は協調性がないと本当によく言われてきました。
自分でも「本当に僕は大人になって社会でやっていけるのだろうか」と自分を責めた時期もありました。
小学生の頃に参加した町内会のバーベキューでも
誰かが火を起こしたり、皿を配ってくれたりするのであれば、自分は何もしなくてもいいのでは?
と、本気で思っていて(気がつかなくて)ぼーっとしていたら
大人たちから「何でみんなが準備しているのに、お前は何もしないんだ!」と注意される場面があり、似たようなことが多々ありました。
協調性を何よりも尊重するタイプの人たちにたくさん怒られてきました。
特に、父親やおじさん年代の人たちを怒らせるのは本当に日常茶飯事でした。
気が利く人になるには
「もっと気が利くようになりなさい」
「人の気持ちを考えなさい」
このような叱咤を多く受け、僕は努力してある程度は察したりまわりに合わせて動いたりすることができるようになりました。
しかし、それでも根本的には「なんでみんなと同じことをしなければいけないのか」という考えがあって。
社会人になっても「先輩社員が荷物を運んでいるのに、なぜお前は手伝わないんだ!いつまで学生気分でいるんだ!」と怒鳴られることも…。
僕は怒鳴られるたびに「荷物運ぶ人手が足りてるなら十分だし、手伝って欲しいなら手伝って欲しいと言えばいいのに」と本気で考えていました。
今も「伝えようともしていないのに、分かってもらえると期待しているあなたたちの方が甘えん坊さんなんじゃないか」と思うのです。
協調の質が変わる
僕の中には「仕事や行動は適材適所でいいし、自然とそうなる」という思いが根強くあります。
父から「お前はもっといろんなことをできるようにならなくちゃいけない!」と注意されたこともあって
そのときは確かにできることが1つでも多い方がいいのかもしれないと思いました。
しかし、苦手なこと、興味がもてないことを無理にやると、効率が悪いし事故やトラブルにつながるしロクなことがない気がしてならないのです。
餅は餅屋。好きこそ物の上手なれ。
その分野が好きな人・専門家に任せた方が効率がいい場合がほとんどです。
もちろんやらなきゃいけない場面もあります。
でも、極力自分が苦手で嫌なことはやりません。興味がないことに時間を使いません。
僕は気づいたら無理なことにエネルギーは使わない省エネ・低ストレスで生きてきました。
車の運転がその1つです。僕は車の運転が下手です。
大きな事故はないもののコツコツぶつけます。
なので、なるべく自分が運転することを避けています。助手席や電車が好きなのです。
まわりにも「僕は車の運転が下手です」と素直に告白しています。
すると不思議なことに僕のまわりには「車の運転が好きな人」が集まるのです。
「車の運転が苦手」と素直に認めることで「運転が上手い人がいたらいいのになぁ」という気持ちがそんな人たちを引き寄せたようです。
素直に生きることで、自然にできる適材適所。
僕はこれが今後求められる真の協調なのではないかと思うのです。
みんなと同じことをする、同じように生きることは決して協調ではありません。
違いを認め生かすことが真の協調なのです。
自分一人で出来ているものはほぼゼロに近い
ここ数年「究理占術研究家」としてコソコソコツコツ1人で行動することが多くありました。
コミュ障で頑固な僕は極力1人でできる「研究」に没頭してきました。
その結果、誰とも関わらず、頼らない方が楽だと思って生きてきました。
しかし最近、誰かに手伝ってもらった方が圧倒的にできることが増えることに気づく出来事がありました。
とある失敗から「僕は省エネのくせに一人で苦手なことまでやろうとしていたんだな」と反省しました。
セミを食べたのもその想いを強めました。
僕がいつも当たり前のように食べていたのは、誰かが育てたり、採取したり、運んだりされたモノだということに改めて気づいたのです。
生きているだけで、すでに誰かに甘えまくって、依存しまくって生きてきたわけです。
日本の食料自給率がまた下がりましたみたいなニュースを見ますが、僕はそれをイチイチ気にしなくていいんじゃないかと思うんです。
だってそれが得意な人たちに任せた方が早いし、効率がいいんですから。
あなたの身の回りにあるもので、自分で調達したり作り出したものはありますか?
着てる服も、座ってる椅子も、ほぼ全てに誰かが関わっています。
あなた1人で作り上げものなんてほぼゼロです。
格好つける必要もないです。見栄をはる必要もないです。
「なるべく他人に迷惑をかけるな」って無理な話です。生きている時点で誰かのお世話になっているわけですから。
甘えるところ甘えて、誰かに頼って生きていることを認めて、自分が得意なことだけをやっていきましょうよ。
というわけで、これからはより一層まわりの人たちにもっと頼っていこうと思います。
にしけい「個」から「共生・協調」への第一歩を踏み出します。
にしけい