神様はどうやら「努力」よりも「勇気」が好きらしい。
努力している人よりも、勇気を出した人の方にたくさん与えてくれる。
例えば
好きな人ができて
その人のことをあれやこれやと調べたり
「あの人は何が好きかな」
「どうやったら振り向いてくれるかな」
と、いろんなことを考えたり
とにかくその相手の性質を調べ尽くしたとしても
声をかけなければ、何も始まらない。
連絡を取らなければ、想いを伝えなければ、何も始まらない。
一生懸命、素振りをしたって
バッターボックスに立って、バットを振らなければ
バットにボールが当たることはない
マグレも、奇跡も起こらない
そして、バットを振らなければ
自分のどこがダメだったすらも分からない。
しかし、バットを振れば
もしかしたらボールをカスることができるかもしれない
ファールになればチャンスが増えるかもしれない
当たらなくても
自分は何がダメだったか分かるかもしれない
「努力っぽいこと」やめませんか?
「がんばっている」
「努力している」
「考えている」
「悩んでいる」
「準備している」
「迷っている」
そろそろ、その言葉やめませんか?
「努力っぽいこと」と「努力」は違う。
「努力っぽいこと」をしている自分が
いかに効率の悪いことをしているか
ぬるま湯に浸かっているか
楽をしているか
そろそろ受け入れませんか?
自分が一番分かっているでしょ?
10000時間の努力も大事だけど
一瞬の勇気の方が得るものが圧倒的に大きい。
人間は知らないことだらけだから
知らないことを知った方が圧倒的に得るものが大きい。
行ったことのない土地
見たことのない景色
会ったことのない人
触れたことのない物体
口にしたことのない言葉
聞いたこともない音楽
着たこともない服
やったこともない体験
何も望むものがないなら
それはそれでいい
それはあなたの人生。あなたの選択。
あなたはただでさえ何も知らないのに
より何も知らずに
年老いて、死んでいく
何も得られずに
ただ老いて、死んでいく
何かを望むのなら
もっともっと手に入れたい状況やものがあるのなら
勇気。
これに尽きると思う。
この記事を読んで
何かをするしないは、あなた次第。
神様はどうやら「努力」よりも「勇気」が好きらしい。
にしけい