「感情って何のためにあるんだろう、役に立つ場面もあるけれど、生存や発展に不利になることも多いし、けっこう邪魔になっている場面も多いと思う」と話すと、妻をはじめ身内の方々から「は?何言ってんのこいつ?」みたいなリアクションがかえってきて、とある親戚の方にめちゃくちゃ怒られて、険悪な空気になってしまいました。笑
あなたはどうですか?感情は必要だと思いますか?
え?極端すぎる?えーそうかな?けっこう感情が邪魔をしていること多くないですか?
感情の機能と感情的になりやすい時期の行動指針についての考察
http://nishikei.jp/nishikei-pon-mind/52265/
ここでも書いているんですけど、感情の機能は「特定範囲の限定とイメージの固定」だと考えていまして。「保守」とか「恒常」を強く求めるようになると、感情が強く働くと思うんですよね。
例えばですけど、何かをやろうとしているときに「だるいな」「怖いな」「恥ずかしいな」といった感情によって行動を制限したりすることってありますよね。「感情」によって「固定する回路」が強固になると、そっちのほうがエネルギーも使わなくていいし、リスクも回避できるから、より感情が強く働くようになるんですよね。
人心掌握術みたいなもののほとんどがこういった「感情」に訴えかけるものですし、人を動かすことが上手い人たちの多くがこの「人間の感情」をうまく利用していると思うんですよ。それで、反対に何かしらの領域で結果を残す人たちの多くが、「自分の感情」をコントロールし続けているんですね。自分が過去にした失敗を思い返してみても、だいたいがこの「感情」によるものだったなと思うんですね。
僕も映画を見て感動しますし、小説を読んで泣いたりするので、感情はありますし、コントロールできているかどうか怪しいこともあります。感情的になることが悪いとか、感情的になっている人をバカにしているわけではありません。ただ、自分も含めていろいろ観察していると、「人生って感情コントロールゲーなのかも」と思うことがよくあるんですね。感情によって豊かになったり、守られることもあれば、感情によって破壊されたり、阻害されることもあるなーってだけなんです。
特に「アイデンティティを作り出した存在」や「自分の安定や安心の象徴だった存在」といったものは「感情」と密接に結びついていることが多くて、おそらくそれも「特定範囲の限定とイメージの固定」という効果があるからだと思います。そう簡単に「自分」とか「固有のもの」といったものは無くせませんし、なんかこう年々「個人の感情」「固有性」みたいなものが大事にされすぎる傾向に向かっている気がします。
体力や気力の衰えと感情
体力や気力の衰えと感情も強く結びついているように見えます。どちらが先かわかりませんが、体力や気力が衰えると感情的になりやすくなり、感情的になっているときは体力や気力が衰えているように見えます。
体力や気力が衰えると、行動や思考の範囲が限定されていきます。少しでも居心地の良い場にいたいという気持ちが強くなるせいか、感情による範囲の固定効果が強くなります。これが癖になって同じような回路をたどるようになると、より感情とイメージの固定の増強ループに入ります。
年齢を重ねてもお元気でごきげんな人もいますし、若くても不機嫌で特定の枠から出たくないという人もいるので、年齢はあんまり関係ないと思いますが、まずは「感情的になりやすくなっていること」に気づくことが大事なのかもしれません。
上述したように、昨今は「個人の感情」みたいなものをめちゃくちゃ大切に、壊れないようにする風潮もあって、その一つがSNSなのかもしれませんね。ちょっとアプリを開けば「個人の感情」を簡単に世界中へ届けられるわけです。「感情=個人の存在意義(範囲の限定)」なので、そういったものがアイデンティティになっている人も増えているのかもしれません。
もしかすると、これまで「自分のアイデンティティを形成する役割」を担っていた祖国・先祖・親といった存在との関係性が希薄になり、違った形でアイデンティティを形成しようとしている人が増えているのかもしれません。
そうなってくると何かしらの媒体で「感情を不必要に煽るもの」「感情を不必要に煽る人」は、特定の思想やイメージを固定させたい状態になっているのかもしれませんね。
にしけい