例えば、あなたが何か面白いアイディアが思いついたとします。
「これおもしろいんじゃないかな〜」
「これ、やってみたいな〜」
「こんなのあったらいいな〜」
いろいろ妄想やワクワクが膨らみます。
しかし、多くの人たちがそこで終わります。
「だって、○○だから不可能だし」
「まだ完璧じゃないし」
「批判されそうだし」
「やらない理由」も同時に思いつき、全くそれが形にならずに消えていきます。
「不完全だからアウトプットしない」は自分自身の存在否定になる
せっかく思いついたアイディアをどうして形にしないのか?
それは「不完全」「不満足」「欠点・問題点」があるからです。
厳密に言うと「あると思い込んでいるから」です。
こんなしょうもないこと、人に見せられない。人に話せない。恥ずかしい。批判されるに決まっている。
そんな消極的な思いが、せっかく生まれてきたアイディアを殺します。
でも、そもそもあなただって生まれてきたときから「完璧」「100点満点」だったと言えますか?
十数年、何十年生きてきた「今の自分」でさえ100点だと言えますか?
確かにシカやヤギなどは生まれたときから、自分で歩くことができます。
大人の完成度が100%だとしたら40〜50%ぐらいの完成度で生まれてきているかもしれません。
それに比べ、あなたは自分が完成度何%で生まれてきたと思いますか?
僕は1%も満たない存在で生まれてきていると思います。
それでもこうしてこの世界に生まれてきて、いろいろまわりの人たちに助けてもらったり、なんやかんやしてもらいながら2%〜5%ぐらいにはなってきていると思います。
でも、これは生まれてきたからこそ、形になっているからこそ、わずかながらにでも100%に近づいていけているわけです。
「テストを受けて0点」と「テスト欠席」は天地の差がある
テストを受けなかった場合の0点と、テストを受けたけど0点だった場合では全く結果が違います。
テストを受けたけど0点だった場合は「何を間違えたか」「何が分からかったか」が分かります。
もしかしたら「文字が読めなかったこと」に気づくかもしれません。それでも次に繋がる何かが得られます。改善策が生まれるわけですから、100点に近づけるヒントが得られるわけです。
一方、全くテストを受けずに0点だった場合は、次に繋がるものが得られません。
数字の上では同じ0点ですが、全体を通してみるとテストを受けて0点だった場合の方が圧倒的に得るものが大きいのです。
もう説明しなくてもわかると思いますが
「アイディアが浮かんだけど完璧を求めて何も形にしなかった人」と「テストを受けずに0点だった人」は同じなのです。
結局、どんな形でもいいから外にアウトプットしないと「評価」が得られません。
悪い評価も良い評価もアウトプットして初めて生まれ、そしてそれが「改善策」という最高の収穫につながります。
最初から完璧なものはない
あなたがせっかく思いついたアイディアをアウトプットしたり形にしたりしないのは、生まれたての赤ちゃんを殺すようなものです。
可能性が低くても、完成度が低くても、外に出していく。形にしていく。そして、それを少しずつ改善していく。
もしあなたが会社や勤め先に入ってきた新入社員が
「自分、あなたたちと同じぐらいのレベルで業務をこなせないんで今日で会社辞めます」と言ってきたらどう思いますか?
「いやいや、最初はみんなできなくて当たり前だって」
「何最初から出来ると思っているんだ?」
って思いませんか?
昨日今日入ってきた新人が今すぐに自分と同じように働けることを心底期待していますか?
そう考えると「最初から完璧なものが出来ないからやらない」という考えは、一種のうぬぼれや自尊心の高さの表れなのかもしれません。
あなたが思いついたアイディアは10点、0点、もしかしたらマイナス5点かもしれません。
それでも何らかの方法で形にしてアウトプットすることが、100点に近づく第一歩だと思います。
こんな誤字脱字が多いブログでも、こうして自分が書いてアウトプットすることで
わずかでも誰かが何かを感じてくれているのであれば「100点」に1歩近づけていると思います。
もしあなたがバドミントンをしたいなら、まずラケットを買いにいけばいいし
世界征服をしたいのであれば、誰かにその方法を聞いてみればいいのです。
知恵袋で質問してみたら意外とおもしろい答えが返ってくるかもしれません。
不完全者同士、今日から思いついたことを行動(アウトプット)に移してみませんか?
にしけい