観察していると、家族内の問題や夫婦間の問題の7〜8割ぐらいが、「自分可愛さ」で起きている気がします。家族以外の組織や集団でも「自分可愛さ」によって不毛な言い争いが起きている場面が多々あります。
対立や関係性の破綻のほとんどは、「話し合い」という建設的なコミュニケーションが不十分なときに発生しているように見えます。直接本人同士がきちんと向き合って、話し合えば済む話なのに、「自分可愛さ」が働くと、直接ではなく周囲の言いやすい人にのみ話すようになるわけです。
「あの人には言ってもわからない」「頭が固いから」「波風立てたくない」といったよくわからない理由をつけて、直接的な話し合いを避ける人の魂胆は「自分は傷つきたくない」という「自分可愛さ」なんですね。それって気遣いでも愛でも何でもなくてエゴなんですね。「直接言えば?」「本人に確認すれば?」って話なのに、自分可愛さによってそれをしないから話がこじれるんですね。
本心や真実を知ることは怖いかもしれない。傷ついてしまうかもしれない。受け入れられたくないこともあるかもしれない。けれど、だからこそ「大事な部分」だと思うんですよ。大事な部分ほど自分で確認しなきゃいけないはずなんです。なのに、それを「傷つきたくない」という理由で、そのままにしておいたり、話し合いも十分にせずに、まわりを巻き込みながら決裂とか離婚といった選択肢を選ぶわけです。
「傷つきたくない」「自分可愛さ」の根本には「セルフイメージの固定」があります。「自分を変えたくない」「自分の立場を守りたい」「自分のプライドやメンツを保ちたい」といったしょうもないことなんです。そりゃめんどくさいことは避けたいですし、自分の脆い部分を曝け出してしまうことは恥ずかしいことかもしれません。現状を維持したい気持ちもわからなくないです。でも、結局のところ誤魔化しながら生き続けなきゃいけないわけです。そういう「誤魔化し」の積み重ねが起きると、変な汁みたいなものが滲み出てきて、本来は起きなくてもいい出来事の引き金になります。それはそれで「自浄作用」として機能するし、必要な汁だと思うんですけど、きちんとそれなりにコミュニケーションが取れれば、そんな汁すら出てこないんですね。
清く正しく美しく生きるのは難しいです。完璧にクリーンな人なんていません。決裂・破綻・離婚といった選択をしたほうが楽かもしれません。でも、まだ「変えられる要素」はたくさんあるのに、それを試さないのはもったいないですし、意外と「変える要素」はちょっとでよかったりするかもしれません。ちょっと変えるだけで、長年のわだかまりや誤解も、意外とあっさり解決してしまうこともあります。
普段からきちんとコミュニケーションを取れていればいいんですけどね、、、やっぱり多くのトラブルが「不均一」によって起きるなーと思います。枠の外から見ているとわかるんですけど、中に入にいる人たちは素直になれなかったりするんですよね。弁護士さんのお仕事がなくならないのも、そういうことなんだろうなぁ。修羅場や板挟みの依頼を受けると、毎回そんなことを考えます。
にしけい