「近いもの」の重要性に気付かず「遠くにあるもの」を追いかけるのはなぜか?

「近い」というのは、「自分を中心とした特定の範囲内にある」ことを指し、「遠い」というのは「自分を中心とした特定の範囲外にある」ことを指します。

 

近いとは何か?

 

「近い」は下記のような範囲のことを指します。

物理空間的範囲:
手の届く距離、生活圏、身近な環境、アクセスしやすいもの

時間的範囲:
今現在、直近、今日

認知的範囲:
理解可能な領域、既知の延長、学習可能な範囲、入手容易な情報

性質的範囲:
自分と似たもの、自分がもっている特性や才能、自分がもっている資源

感情的範囲:
慣れ親しんだもの、親しみやすさ、当たり前だと思うこと

行動的範囲:
すぐに取り掛かれるもの、ルーティン的な行動、習慣化された行動

人間関係的範囲:
家族、身内、親族、身近な人間関係

 

この範囲は人それぞれ異なりますが、この範囲の外に出ると「遠い」という認識になるようです。

記事のタイトルにありますように、ここ数年ずっと疑問に感じているテーマのひとつが、『”近いもの”の重要性に気付かず、”遠くにあるもの”を追いかけるのはなぜか?』です。

僕はこのブログで口酸っぱく「基礎の重要性」を述べています。占いをしたり、講座でお話ししたりする中で、よく思うことは「本当に大事なことは地味でどこにでもありふれているような基礎的なこと」ということです。つまり、「近いもの」が重要です。

「基礎の重要性」は、「身近な幸せ」や「日常のありがたみ」と似ていて、ずっと特定の場に居続けていると気づきにくいんですね。「近い」は「自分を中心とした特定の範囲内にあること」なので、この中心が動かない限り、そのありがたみや重要性に気づけないんですね。物理的な場所が変化して「中心」が変わる人もいますが、場所や環境が変化しても、「中心」が変わらない人もいます。この「中心」というのは、その人が持っている固定されたイメージと言い換えてもいいと思います。

時間的範囲でいうと、「近いところ」というのは「今日」や「現在」になります。「身近な幸せ」や「日常のありがたみ」を大事に出来ない人は「今日」や「今」を蔑ろにする傾向があります。「老後」とか「将来」とか「いつか」とか、遠い先のことを考えているんですね。先のことを考えることは確かに大事なのですが、今日があっての明日なので、今日をないがしろにしすぎるとそれ以降が続かないんですね。

「近い」というのは、「自分を中心とした特定の範囲内にあるもの」なので、自分にとって「当たり前」のことです。遠くにあるものは「当たり前ではないこと」ですから、相対的に希少性が高くなり、価値を感じてしまうのは仕方がないです。この記事では、「遠くにあるもの」に価値を感じるなと言いたいのではなく、「近くにあるもの」にも同じように価値があるかも…という余地を生み出して欲しいのです。

「遠くのもの」ばかりを追いかけている人は、部屋が散らかっていたり、モノが溢れている傾向があって、来客時には一時的にクローゼットに押し込んで隠したりするんですね(稀に反対に極端にモノがないパターンもあります)。なので、どんな綺麗事を言っていても、そういう人の場合は「身近な人を大事にしない」という傾向があって、安定感に欠けることが多いです。望遠鏡を覗いてばかりいると、足元の火事に気づけないんですね。

その人が見ている・大事にしているものが近いのか、遠いのか。これを意識して観察・会話してみると、だいたいその人の傾向がわかってくるはずです。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。甘酒と文章を書くことも好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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