「親が子を特定の場に縛り付ける」という現象に度々遭遇します。「縛り付ける」と言っても、それをやっている本人は無意識・無悪意で、むしろ「善意でやっている」「それが子のためになる」と信じて行っている場合が多いです。なので、「結果的に縛り付けることになる」という表現が適切なのですが、外から見ると「それって親が子を縛り付けているよね」と思うことがよくあります。
また、縛り付けられる子も「それが正しい」「それが親のためになる」と考えてしまう傾向もありますし、親に依存するパターンも見受けられるので、「縛られる」という表現が適切ではないパターンもあります。アブラムシとアリのように共存・互助の関係とも言えますし、一種の依存関係とも言えます。
明らかに地元に残っていてもうまくいかないのに、何やかんやと理由をつけて地元に残り続ける人も一定数います。仕事・恋愛・結婚・趣味・体調・人間関係など、どう見ても地元や親元という「場」が合っていないのに残り続けるんですね。親から「残ったほうがいい」という刷り込みを受け、本人の生活力も弱いというダブルバインドによって少しずつ弱り果てていく人もいます。
親から「お前は一人じゃ何もできない」という呪いの言葉を受け続けた人は段々弱っていくのですが、その呪いの言葉を吹きかけている親も実は弱ってきているんですね。この呪いの言葉は親子だけではなく、夫婦間や上司部下間にもときどき見受けられます。強い言葉を投げかけることで相手を縛りつつ、安心感を得ようとしているわけです。おもしろいですね。
カゴ(特定の場)の中に閉じ込めておくためには、ちょっとだけ弱らせる必要があるんですね。何か問題がある必要があるわけです。なので、問題を捏造してカゴに閉じ込めようとする人もいますし、カゴに残りたいがゆえに問題を捏造する人もいます。とはいえ、野良猫と同じように何かしらメリット(エサ)があるから人間に寄ってくるわけで、お互いにメリットがあるから「特定の場に縛り付ける」という現象が起きるわけです。
「親のスネをかじる」と言いますが、スネをかじらせたい人もいますし、かじらせた上で優越感や承認された感を獲得する人もいます。僕はかじれるスネがあるならかじれるだけかじっておいていいし、何ら恥じることはないと考えていますが、それによって本来増えるはずだった選択肢やチャンスが減っていくこともあるので、目に見えるものだけで天秤にかけるのはもったいない気もしています。
僕自身、地元にかじるスネもなく地元を離れた人間なので、地元に残り続けられることって羨ましくもあるんですね。地元でうまくいくのが一番コスパがいいに決まっていますから。でも、地元で合わないなら素直にその「合わない」という事実に従ったほうがいいんじゃないかなと思います。
また、地元以外にも特定の場に居続けて選択肢が減っていくのであれば、離れたほうがよいかもしれません。分かりやすいのは「体調」と「人間関係」だと思います。その場所にいると体調が悪くなる、人間関係(仕事や恋愛)がうまくいかないというのであれば、一度違う場所に拠点を移してみてもいいかもしれません。
日本が合っていないという方も中にはいますので、国内外問わずいろいろ旅してみるといいかもしれません。合っている場所は何かとすんなり進む事が多いです。もちろん時期やフェーズによって合う場所も変化するので、やっぱり定期的にいろんな場所に移動してみるのはいいと思います。
人類は300万年以上は遊動生活していて、定住はここ1万年ほどなので、人類史の中でも0.4%ほどになります。本来は動き回っていろんな土地を移動する生き物なので、自分に適した場所を模索するのは自然なことだと思います。
にしけい