もしかしたら「エネルギー」って想像以上に大事なのかもしれない。

風邪をひいたり余裕がなくなると、新しいものを受け入れられなくなります。この「余裕」とは何なのか。僕は「余裕」とは「エネルギー」だと考えています。「体力」と言っても良いでしょう。

動物も植物も我々人間も何かしらの方法で「エネルギー」を作り出し、それを使いながら生活しています。人類がまだ「火」を使いこなす前は、消化吸収に膨大なエネルギーを使っていました。そのため1日の大半はダラダラと寝て過ごしていました。効率よくエネルギーを作り、活用できるようになってから人間は科学文明を飛躍させてきました。

エネルギーを作る効率の良さには個人差があります。エネルギーを作り出すことが得意な人もいれば、効率が悪い人もいます。エネルギーがない、余裕がないと、新しいものを受け入れることができないため「前提」という「虚」を使うようになります。

「自分にとって都合のいいもの(エネルギー消費が少ないもの)」と「そうではないもの(エネルギー消費が著しいもの)」を分けるために「前提」を作ります。前提を破壊されると拒否反応を起こすのは、エネルギーを使うことにつながるからです。

「前提」という「虚」を作り出すのは、なるべくエネルギーを使わないようにするための工夫と言えます。なぜそのような工夫が必要かというと元を辿れば「エネルギーが足りない」からです。

また、前提によって何か除外する際に、それをスムーズに行うために「言い訳」や「理由」を作ります。何かを取り入れるとき、それを噛み砕くことにもエネルギーを要します。エネルギーが足りない時は、噛み砕くエネルギーも減らしたいわけです。

「新しい考え」を受け入れようとすると、エネルギーを使います。それをなるべく避けるために「理由」をつけます。その多くが「新しい考えの否定」という形で、自己正当化されます(「相性が悪かった」「あのパソコンのソフトは高度すぎる」といった具合です)。

エネルギーを作る効率は生まれつき違いますし、常に一定というわけではありません。変化します。なので「エネルギーを作れないこと」が悪いことではありません。きちんと自分の体力がどのぐらいなのかを考えて無理しないことなのです。

体調が悪いのであれば、プールサイドで水泳の授業を見学していてもいいのです。きちんと自分の体力を把握していれば「今日は休もう」と決断できます。しかし、中には「なんであいつはプールに入らないんだ」とか「サボりだ」という風にプールに飛び込ませようとする風潮もあります。反対に自分の体力を見誤って「今日はなんか泳げる気がする」と言って飛び込んでしまう人もいます。

「プールに入るよう煽る勢」は「全員自分達と同じぐらい体力あるだろう」という思い込みがあります。思い込み、「虚」です。反対に「あの人も泳いでいるし、私も泳げそう」というのも「虚」です。

何度も言いますが、エネルギーを作る効率(体力)はそれぞれ違います。そして体力がないと余裕がなくなります。余裕がないと受け入れるキャパが減ります。それ自体は悪いことではありません。それぞれが自分のキャパの範囲でやれることをやればいいのです。

しかし、問題や対立が起きるときはこの「キャパを超えたこと」をやろうとしたときに起きてきます。プールサイドで休むことは決して悪いことではありません。深いところを泳げる人は泳げばいいですし、長距離泳げる人は泳いでください。しかし、決してそれが「普通」だと思わないでください。

それぞれの体力に見合ったことをやる。エネルギーがたっぷりあって余裕が出てきたら、新しいことにも挑戦してみる。それでいいのです。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。 商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。詳しくはこちらから。

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