下記は拙著「占術覚書」のあとがきです。
分からなくなるためならやる価値がある
19歳から占いというものに触れて、実占で試行錯誤を繰り返していますが、それでもいまだによくわかりません。なぜ当たるのか、なぜ当たらないのか。正直よくわかりません。占いに関する書籍や発信媒体は無数にありますが、本当に現場で実占を繰り返してきた人ほど、「よくわからない」と述べる人が多いですし、逆に声高らかに「この占いが最高だ!」「自分はすごい!」と主張している人ほど、おそらく実占をしていないと思います。なぜなら、僕自身がこれだけ当たっているか当たっていないか、使えるか使えないかを試行錯誤してきた結果、よくわからないという状態だからです。
だからといって自信がないかと言われると、そういうわけでもなく、じゃあ自信があるのかと言われても、そうとも言えない状態で、なんというか、占いと携わる上で「自信の有無」という軸が、全く役に立たないのです。あってもなくても特に関係ない感じなんですね。
ただ、ひとつ言えることがあって、「分かろうとしても分からない」ということです。分かろうとするという状態は、細かく線引きしていき、既存の考えと照合させる行為(解釈)に近いのですが、この行為はある程度は出来るようになりますが、途中で必ず行き詰まるんですね。
たまに、居酒屋などで壁一面にメニューがたくさん書いてあって、逆に何が言いたいかわからなくなることってありませんか?某大手ネットECサイトも文字や画像が多すぎてごちゃごちゃしていてよくわからなくなることないですか?
分かろうとして細分化する行為ってあれに似ていて、結局何が大事なのかわからなくなってくるんですね。なので、分からないことがあったとしても、「一旦置いておいて他のことをやる」という時間も大事だったりします。分からないけれど、それでも続けていたら、あるとき「分かる」ようになる瞬間が来るんですね。多くの人たちがこの「分からないままのものを自分の中に抱えておく」ということが苦手で、すぐに答えを出そうとしたり、挫折したりするのですが、占い続けていると、ひょんなところからヒントとなる情報が出てきたりして、新しい発見につながることが多いです。
分からないものを抱えていく
「わからないもの」を抱えながらも続けていった先に、「わかる」ようになったことって、シンプルなことが多くて、ブログや講座のテキストなどにサラッと書くんですけど、シンプルすぎて誰もその大事さに気づかないんですよね。本当は大事なことほどシンプルで、「そんなことか」ということが多いのですが、そういったことのほうが気づかれにくいんですね。本に書こうとしても、大事なことほどシンプルなので、図が1つとか、1文とかで説明が終わってしまうんですね。
極意とか秘密とかそういったものも、ごちゃごちゃしているものよりもシンプルなもののほうが「その通り」という場合が多くて、実占でも使えるんですね。どうしても多くの人たちが「それっぽいテクニカルなこと」を求めるのですが、実占を繰り返して固定観念を壊しながらも占いと向き合って行くと、段々シンプルな考えになっていくんですね。とは言いながらも、本書ではまだまだごちゃごちゃと文章を書いているので、僕の修行もまだまだ序章にすら立てていないのかもしれません。
ネガティブ・ケイパビリティ
この「わからないものを抱える力」の存在はかなり前から認識していたのですが、最近これを「ネガティブ・ケイパビリティ」という名付けて定義してくださっていた方がいることを知りました。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力/帚木蓬生
https://amzn.to/3I3P2IB
ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。
そうそう、まさにこれです。
過去の記事で占いはアートに近いという話を度々書いていますが、同書の中には「分かりたがる脳は、音楽と絵画にとまどう」というトピックがあり、やはり占いとアートは何か通じるものがある気がします。
「分かりたがるとき」というのは、安心を求めているときなんですね。安心を求めているということは不安なときなのですが、この不安がどうやって生まれるかというと、セルフイメージや特定状態に対するイメージの固定によって生じます。特定イメージの固定が強くなると、そのイメージ通りではない状況に対して不安や不満を感じるようになります。下記の記事に詳しく書いています。
「自分ってどういう人間なのか知りたい」「自分にはどのような可能性があるのか知りたい」
https://nishikei.jp/nishikei-pon-mind/51791/
基本的に不安を抱えやすい人の傾向としては、失うことへの恐怖心が強く、固定されたイメージを捨てることが苦手です。生存戦略上、「失敗しない」ために備わった本能なのでしょうがないのですが、不安が強くなると安心したくなり、「分かりたがる」という状態に至ります。
僕の中で「分かりたがる」という状態は「分からない」を生み出す負のスパイラルが生まれると考えています。例えば、本を読むときに「分からないところ」が出てきたときに、「分かろうとする人」は途中で読むのを止めて、そこで「分からないこと」が無くそうとします。その結果、「全体を通して本を読む」ということが起きにくくなり、余計に全体を把握できなくなり、その「分からない部分」が一生分からないまま終わってしまうことになります。
「分からないけれど、読み進めてみるか」ぐらいの気持ちで、なんとなく何度も読んでいると、だんだん「わかる」ようになってきます。なぜなら「全体」を知ることができるから、文脈や意味がわかるようになるんですね。でも、特定の部分ばかり気になってしまうと、全体を見ることがないので、それ以上「分かる」ようになっていきません。
今わからないこと、今決められないことをなんとかはっきりさせようとするのも生存戦略でしょうけれども、今わからないことを先送りにするのもまた生存戦略なのでしょうね。
にしけい