対等な関係性の核心:テリトリーの尊重と敬意の力

対等性、フラットさについて。

長く関係性が続く相手との間には一定の「敬意」があります。人はそれぞれ固有の世界観、価値観、生活空間といった「テリトリー」を持っています。「敬意」とは、その個人の境界線や自律性(テリトリー)を認め、尊重する姿勢と言えます。

敬意と対の関係になるような言葉に、優位性を示す・存在感を示すというものがあります。これは結果的に、相手のテリトリーに侵入することになります。強引なプレゼントをしたり、自分の考えを押し付けたり、自分の存在価値を示そう主張する行為です。これらの行為は相手の思考・生活・物理的テリトリーと侵入すると同時に、自分はその相手と同等もしくはそれ以上の存在であることを主張する行為と言えます。これらの行為はフラットさが損なわれるため関係性においてアンバランスな歪みを生じさせ、繋がり継続できなくなります。

また、特定の人物のテリトリー外の人物や集団を批判することで、その特定の人物のテリトリーに加入、もしくは自分もその人物と対等な目線であろうとする行為も、一種のテリトリーの侵害行為になります。Aさんに対して、「Aさんと異なる考えを持つ人たちは愚かですよね」といった構文で距離を縮めようとします。

基本的にテリトリーを侵害してしまう状態にある人は、一個人では安定せず不安定な状態と言えます。自らを認め、自らの存在を保持するために、他者に近づきます。その際に、他者のテリトリーに侵入し、占拠・占有を試みようとしますが、その相手の選択肢や思考判断を尊重せず、むしろそれを「自分にとって都合の良い選択肢」という特定の方向性にコントロールしたり、自分は特別な存在であると認識づけようとしますが、多くがエゴであるため関係性は長続きしません。

真の対等性とは、相手に対する敬意を払うことであり、エゴではなくフラットに接することです。相手のテリトリーや考えを尊重し、選択肢を不必要に減らしたり、自分にとって都合の良い状態・自分が優位な立場になるように相手をコントロールすることではありません。ましてや自分の優位性や存在価値を主張することは最も「相手への敬意」とはかけ離れた行為と言えます。これらの行為の根底には寂しさ・セルフイメージの過度な固定による自己評価の低さなどが挙げられます。

人もモノも日々の営みも、関係性・関わり方が大事ですし、偏りの大きくバランスに欠けた状態に陥ると続かなくなります。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。著書を50冊以上。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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