「所有」や「持つ」という状態は特定の範囲内に何かを固定させることを指します。「車を所有している」という状態は物理的あるいは権利的な面で特定の範囲内に車が固定されていることを指します。
固定されると良くも悪くもその特定の範囲に変化が起きなくなります。悪く言えば循環が止まってしまうため発展する可能性が消失します。良く言えば特定の状態を保持することが可能です。
「Aさんは◯◯というイメージを持っている」と表現されることからも、実体が存在しない「イメージ」も「特定範囲内の固定」が起きます。Aさんは可変性があります。多様な面があります。その中から一部の情報を取り囲み(範囲を限定し)、固定させて記憶します。それが「イメージをもっている」という状態です。
これはありとあらゆる現象で起きています。「パソコンに対するイメージ」「SNSに対するイメージ」「政治に対するイメージ」「若者に対するイメージ」といった具合に、言語化した時点で範囲が限定され、そこに付随するイメージが発生します。
全く見たことも聞いたこともない言葉 (例: ピャックルナッピーサ)でも、音や文字の並びから既存のイメージと結びつけられ、なんとなくのイメージが構築されます。
物体同様にイメージも固定されると、循環が止まってしまうため発展する可能性が消失してしまいます。
ここでひとつ質問してみます。
あなたは自分自身に対してどのようなイメージをもっていますか?
あなたには可変性があり、多様な面があります。しかし、一部の情報を取り囲み(範囲を限定し)、固定させていませんか?
本当は可変性(様々な可能性)があって、より発展・成長できる可能性があるのに、その範囲を限定させてしまっているのは自分自身かもしれません。「所持する」「持つ」というのは良くも悪くも範囲を限定して固定しているのです。
にしけい