「寂しい」という感情は、勝手に思ってるだけなのではないかといつも思ってしまいます。
孤独感を感じたり、特定の状況や人物を乞い求めたり…
その背景には「自分は特別だ」という感情があるのではないかと思っています。
自分のおいたち、キャリア、生活、性質、状態…そういったものを「特別」だと思っている状態です。
例えば、「自分は特殊な仕事をしています」とか「自分はすごい人です」と自己紹介するとですね、良くも悪くもハードルが上がります。
聞く人は「どんなすごい人なのだろう!」「何が特殊なんだろう!」と期待します。自分で自分のハードルを上げているわけです。それで、なぜハードルを上げるかというと「差別化」を図ろうとしたり、自分は他者と異なる存在であると主張したい(分化意識)が働いているがゆえにハードルをあげます。
ハードル、つまり障壁ができるわけですから「境界性」が強くなります。文字通り壁を作っているわけです。
なので、「自分は特別だ!」と思い込もうとしたり、他者に主張したりする行為は他者との間の境界性を強める行為になります。壁を作るわけですから、意思疎通が難しくなります。
意思疎通がスムーズにはいかなくなりますから、齟齬が起きやすくなります。壁があるわけですから、孤立しますよね。それで「寂しい」という感情が出てくるわけなのですが、そもそも最初に線引きしたり壁を作っているのは誰か…?という話なんです。
「誰も分かってくれない」
「自分はレアケースだからみんなは理解できない」
「自分は少数派だから可哀想」
分類すればするほど、条件が増えますので、1つのグループに所属する人数が減っていきます。なので情報や感情を共有できる人数が減っていくのは当然です。しかし、その分類や条件増加を行なっているのは紛れもなく自分なんですね。
なので、冒頭にも申し上げましたように、「寂しい」という感情は勝手に思ってるだけなのではないかと思ってしまうわけです。自分で勝手に線引きして、壁を作って、疎外感を感じて、「寂しい」と言っているわけです。ほとんどが自作自演なんですね。
日本神話でも、天照大御神が天の岩戸に隠れて、世界が暗闇に包まれたってエピソードあるじゃないですか。自分のアシスタントの陰部に機織りの梭(ひ)が刺さって死んでしまうというのはショッキングな出来事かもしれませんが、それが原因で岩戸に隠れてしまうというのは、やっぱりどこか自分は特別で完璧な存在だと思っていたからかもしれません。
計画とかスケジュールとか、そういったものって突然のイレギュラーで吹き飛んでしまうこともあります。もちろんイレギュラーが無いほうが良いんでしょうけれども、生きてるとそれなりに起きてきます。だから、アマテラスにもやっぱりどこかで「自分は必ずうまくいく」みたいな慢心があったんじゃないかなって思うんですね。
天の岩戸に隠れているアマテラスと同じように、「寂しい」という感情は勝手に自分を特別なものだと思い込んでいるときに起きている可能性が高いです。なので、寂しいという言葉で片付けてしまうのではなく、自分はなぜ他者と線引きしたがっているのか?なぜ自分は特別だと思いたいのか?といったところを言語化していったほうが建設的だと思うんですよね。
何を分かって欲しいのか。誰に分かって欲しいのか。たぶん何か受け入れたくないこと、隠したいことがあって、それで壁を作っているはずなんです。でも、結局自分を縛っているのは自分なんですよね。
ちなみにアマテラスが天の岩戸に隠れた時に呼び出されて太占(ふとまに)をさせられた占い師(天児屋命と布刀玉命)がいまして。何を占ったのか分かりませんが、ご機嫌取りのために占わされるってなんか可哀想ですよね…。
にしけい