「不足信仰」の認知と「本能ちょい足し」でほとんどの人間関係の悩みは消える

人間の欲は大きく分けて2つあります。

生存欲と社会欲です。

生存欲は食欲・睡眠欲・性欲などです。本能的です。

社会欲は承認欲求とかチヤホヤされたいとか人間関係の中で起きる欲です。

「大きく分けて」と言いましたが、この2つは絶妙に混ざりながら発生することもあります。

例えば、恋愛などは性欲と承認欲求が混ざったりしますし、美しい人と美味しいご飯を食べたいというのも食欲・性欲・承認欲求などが混在しています。

しかし、後者の「社会欲」というのは全て「足りない部分」に意識が向いていると発生します。

つまり、人間関係や社会的なトラブルは「足りていること」に気づくことが出来ればほぼ解決します。

そして、この社会欲というのは「作られた欲」「植え付けられた欲」である可能性が高い点も言及しておかなければなりません。

 

モテたい、お金をもっと得たい、もっと賢くなりたい、成績を良くしたい…

地位を獲得したい、注目されたい、チヤホヤされたい、自分の凄さを示したい…

 

こういった欲は「自分には足りていないことがある」という考えが前提にあります。

「もっとお金が欲しい」という人は「お金が足りていない」と考えているはずですし

「漠然と安定したい」という人は「漠然と安定していない自分」に着目しているはずです。

「100点取りたい」と考えるということは、100点まで到達していない自分が前提にあります。

 

幼少期に親や周囲の人たちから「あなたは足りていない」という強い刷り込みを受けた人は、「自分は足りていないんだ」と強く思い込み「一生懸命」「頑張る」「やらなきゃいけない」といった考えを強めます。

いわゆる「コンプレックス」というものも「足りないもの」に強く意識が向いています。

成長しなきゃ、頑張らなきゃ、うまくやりたい、迷惑かけないように…

ちょっとまわりを見渡してみると「不足信仰」のオンパレードです。

神という絶対的な存在を創出することもそのひとつです。絶対的に美しく全知全能な架空の存在を作ることで、「人間は不完全で愚かな存在だ」ということを潜在的に植え付けるのです。

教育もそうです。「100点」「優秀」「Sランク」といった架空の完璧なものを作ることで、無意識のうちに「足りていないものだ」という刷り込みを行なっているわけです。

 

「そんなことを言ってもお金がなきゃ生きていけないし、そのためにいい大学を出たり、努力するのは当たり前だろ」

 

このあたりが非常に絶妙で「生存欲=お金」「お金=社会性」といった具合に生存欲と社会欲が混じり合っているのです。生存欲の面においても「食べなくなること=恐怖」ですから、「頑張らなくては食べれなくなる」という結びつきがあります。

しかしながら、冒頭にも申しましたように、人間関係などのトラブルのほぼ全てが「強く足りないことを植え付けられること」によって発生します。

そして、この不足信仰は「他者との比較」から発生します。

目が見えなかったら、誰かが着ている服と自分が着ている服を比較するでしょうか。

耳が聞こえなかったら、自分の声はおかしいなと感じるでしょうか。

 

不足感を感じることで、人々は発展・繁栄してきました。

「もっと◯◯したい」

こういった欲求が人々の文化や文明を形成することにつながったのは自明です。

しかし、この欲が過剰に他者によって植え付けられてきている可能性があります。

何もしていない人は悪だ
何者でもない自分は悪だ
肩書きがないのはダメだ
甘えている人間はだめだ
知識がない人はクソだ
本を読まない人はバカだ
うまくいっていない状態はおかしい
努力しない人はクズだ
休むことは悪いことだ
この家は狭くて小さい
あのエリアに住んでいる住人はだめ
あの人は低レベルなことを言っている
結婚していない人は問題がある
学校に行かない人はダメだ
不貞行為をしたら叩いていい
常識や倫理観がない人はおかしい

人間は社会欲を過剰に採用してしまったのかもしれませんし、人によってはこれを強く植え付けられたことで自分を責める人もいます。他者を責める人もいます。

しかし、これらは本来は簡単に手放せるはずです。そう簡単に手放せないというのであれば「不足感」があることで「満足」していることになります。つまり「不足感」に依存して、楽しようとしているのです。

「不足信仰」によって「立場」を形成することで、自己を確立・保持しているので「不足感」がなくなってしまうと、崩れてしまうのです。

実はあなたは「十分に足りている」かもしれません。本当は何不自由なく暮らせているし、特に悩みなどないかもしれません。しかし、不足感を作り出すことで「自己」を確立していると、さらに不足感を創出しようとします。

 

今日のまとめ

 

▶︎不足信仰:
自分は他に比較して足りていない・不完全な存在(状態)であると認識させられる要因。その要因を意図的に作る存在の総称。

 

  1. 世界全体に不足信仰がある
  2. 社会全体に不足信仰がある
  3. 親や教師から強く不足信仰を植え付けられる場合もある
  4. 不足信仰を採用し、それに依存している場合もある

おそらく人間社会における悩みのほとんどが不足信仰によるものです。

自分に満足していたら他人と付き合う必要もないです。結婚する必要もないです。童貞でも処女でも構いません。何を食べて、何をやっても関係ありません。

 

社会欲には必ず「理屈」があります。しかし、生存欲には理屈がなく本能ベースです。

理屈や理由は架空です。虚です。人間が勝手に作っているものです。

 

ちょっとだけ「本能的」になり、その本能的な部分を許容できれば、悩みやコンプレックスはほぼ解決します。

生きていればOK。働かなくてもOK。眠い時には寝る。お腹が減ったら食べる。

いきなりは難しいかもしれませんので、「本能ちょい足し」ぐらいからやってみましょう。

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎

1987年富山市生まれ。工学修士。 商社の開発営業職を辞めて、占いや相術を生業にしています。本と旅とポケモンと文章を書くことが好きです。黒も好きです。どの国に行ってもスチューデント扱いされます。詳しくはこちらから。

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