「会う≒合う話」と「魔王軍超竜軍団長バランの話」

 

会う≒合うの話

 

英語にすると「meet」と「match」になるんですかね?

漢字だと「会う」と「合う」といって別の漢字が当てはめられているんですけど、これね、ほぼ同じでいいと思うんですよね。

「遭遇する」の「遭う」も比較的ネガティブなものに巻き込まれるような場面で使われるんですけど、これもほぼ「合う」に近いと思うんですよね。

ネットのおかげでいろんなところから瞬時に情報が入ってくるようになりまして。

「誰かが何かをした」とか「誰々はどうのこうの」という情報もガヤガヤといっぱい入ってくる昨今でございます。

しかし、「誰々」の情報は入ってくるものの、実際にその人に出会すかというと、ほぼないんですね。

占いを生業にしていると、やっぱりいろんな占い師さんの話が入ってくるんですけど、実際に出会すことがほとんどないんですね。

つまり会わないんです。

同じ日本という狭い島国で生活していて、情報は入ってくるんですけど、不思議なもので会わないんですね。

本当に同じ世界なのかと思ってしまうぐらいです。

これを読んでいるあなたはどうですか?

 

「会う人」は何度でも会うし、「会わない人」って全然会わなくないですか?

当たり前だと思うかもしれませんけど、これが何だかおもしろいというか、よくできているな〜という気がしまして。

「会う人」って何かしら「合う人」なんですよね。

嫌だなと思っていても会っちゃう人もいると思うんですけど、それもやっぱり何かしらあなたと「合っている部分」があるんです。

「合う=快」ではないです。「合う=ピッタリ」じゃないんです。

何かしら「同じ様なところがある」ってことなんです。

 

「自分について知りたい」というのであれば、よくわからない診断とかするよりも「自分が会う人」を鑑みた方が早いし、確実なんですね。

「自分を変えたい」というであれば、自己啓発セミナーとか行かなくても「会う人」を変えれば、自分が変わってきます。

自己啓発セミナーに行くと「自己啓発セミナーに行く人」たちに焦点が「合う」ことになります。

 

僕は幽霊とか心霊現象とか面白いぐらい何も起きないのですが、そういったものに「焦点が合っている」と、そういうものに「会いやすく」なる気がするんですよね。

ラジオの電波のように、特定の何かに合わせたら、やっぱりその世界に入って行って、その世界の住人たちに会いやすくなると思うんですよね。

だから逆に「会う人」を変えれば、チューニングも変わってくるはずなんですよね。

で、これは別に「人」じゃなくても、本とか映画とか道具とかでも言えることだと思うんですね。

何を「選ぶか」なんですよね。

 

魔王軍超竜軍団長バランの話

 

ダイの大冒険を1巻から読み直しています。

ダイの大冒険は「人間を滅ぼしたい」という敵キャラが何人も出てくるのですが、その一人がバランです。

 

初期のバランという人物の思想がわかるコマを2コマ切り抜きました。

 

©️三条陸,稲田浩司,堀井雄二 ドラゴンクエスト ダイの大冒険 7 DRAGON QUEST―ダイの大冒険

 

©️三条陸,稲田浩司,堀井雄二 ドラゴンクエスト ダイの大冒険 7 DRAGON QUEST―ダイの大冒険

 

 

主語が大きくなるバラン病

 

バランは何やかんやあって「人間全員」に憎しみを覚えました。

 

 

「男はみんな◯◯だ」

「女って◯◯だ」

「若者はだいたい◯◯だ」

「日本人は◯◯だ」

 

といった言説を度々見受けますが、これは人間全員を憎んだバランと全く同じことをやっています。

 

自分が遭遇した出来事はどこまでいっても「部分」なのですが、それを「全体」だと捉えて、主語が大きくなります。

主語を大きくする効用としては、話が大袈裟になるので注目を集めやすいという効果があります。

注目を集めたいわけですから「寂しい」「かまってほしい」という状態だと言えるかもしれません。

 

より大きな主語を使う場合、そうじゃないパターンを切り捨てているわけですから、柔軟性や寛容性を失っている状態だとも言えます。

柔軟性を失っている時ってだいたい「偏った情報」を集めがちなんですね。

 

©️三条陸,稲田浩司,堀井雄二 ドラゴンクエスト ダイの大冒険 7 DRAGON QUEST―ダイの大冒険

 

 

偏った情報を集めたいというのは「その方が楽」だからなんですね。

「AはBだ」と決めつけておいたほうが思考を停止させられるので楽なんですね。

ここで注意したいのは「自分はAはBだと決めつけたい人だ」とさらに決めつけるのではなく、あくまで「今はそのような状態だ」という余白を残しておくことです。

性質は固定されたものではなく、状況や立場などによって変わりますから「今はそういう状態だ」と表現しておいてください。

 

 

おまえたちのような人間にははじめて会った

 

バランがリーダーを務める竜騎衆には、同じ様に人間に憎しみをもった男ラーハルトがいます。

ラーハルトは魔族と人間のハーフで、幼少期に人間から差別や迫害を受けた経験からバランと同じ様に人間を憎むようになりました。

ラーハルトは死に際に「おまえたちのような人間にははじめて会った」と言います。

 

©️三条陸,稲田浩司,堀井雄二 ドラゴンクエスト ダイの大冒険 7 DRAGON QUEST―ダイの大冒険

 

バランも主語が大きくなってしまう状態の人も、この「おまえたちのような人間にははじめて会った」という出来事があれば、考え方の偏りが少し和らぐはずです。

 

ラーハルトは死に際になって「自分の執着」や「こだわり」のようなものを捨てることができました。

その結果「合う人(会う人)」が変わったわけです。

会う人が変わると「そうじゃないパターンもあるのか」というものも出てきます。

むしろ「そうじゃないパターンもあるのかも」という考えが少しでも芽生えていれば「会う人」や「会うモノ」が変わり始めます。

 

変わり始めるときに、ときには「戦い」や「トラブル」が起きることもあるかもしれません。

そんなときは淡々と「おまえたちのような◯◯にははじめて会った」と言って、変化を楽しんでみてくださいね。

「はじめてのこと」が起きるときは、柔軟性と寛容性アップのチャンスなのです。

 

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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