リソースが少ないなら素直にそれを認めて楽しもう!

たくさん資源があって、余剰分があれば他者に与えることもできます。財布の中に100円しか入っていなかったら「100円ください」と言われたら躊躇するかもしれません。しかし、10000円入っている状態で「100円ください」と言われたら「100分の1だし別にいいか」となるかもしれません。

これは金額や割合ではなく、自分がもっているものが「特別なもの」だと思えば思うほど、それを失うときに「出し渋る」ということが起きてくるようです。何かをやり始めたころは、情報や物などのリソースは少ないため、自分がもっている知識や技術や物が「特別なものだ」と感じやすいかもしれません。

自分がもっているリソースが増えていけばいくほど「特別なもの」とは思わなくなってきます。これは努力や練習や経験も同じです。努力を「努力した!」経験を「経験した!」といった具合に「特別なもの」として見ているうちはリソースが少ないのかもしれません。しかし、誰にでも「始めたてのころ」や「貴重な体験」だと思うものがあります。なので、そこは素直に「経験したぞ!」と思ってもいいと思います。それに、日々の生活の中で「特別なものがない」と思われているのであれば、自分にとって「初めての経験」というものが少ない状態かもしれません。なので「特別なもの」と思えることがあることは非常にいいことです。

しかし「自分はたくさんリソースをたくさんもっている風」を装いながらそれを出し渋る場合、実際はリソースをそこまでもっていない状態なのかもしれません。リソースをそこまでもっていないのであれば等身大でいいと思います。特定の分野についてよく知らないのであれば素直に「よくわかっていません」でいいと思います。「リソースをもっている風」を装い、一生懸命リソースをもっている状態へもっていこうとしているのであれば、それもそれでいいと思います。しかし、どこかでボロが出てしまったときに信用を失うことにつながるかもしれません。

あなたが「これは出したくないな」「そう簡単には手放したくないな」と思っているものがあれば、それらに付随するリソースがまだ少ないのかもしれません。しかし、何度も言うようにそれが悪いこととは思いません。自分にとって「特別なこと」というものはあると思います。それならそれを素直に「まだまだそれに関するリソースをそこまでもっていない」と認めた方が楽だし全体としてはお得になるかもしれませんって話です。だって、八百屋で並んでいるキャベツを売ってくださいと声をかけて「いやいや、このキャベツは貴重だから売れないよ」って言われたらびっくりしますよね。

そのキャベツが本当に貴重なのであれば「譲ってもいいような雰囲気」「たくさんもっている雰囲気」を出すのは、おかしな話ですし、誤解や事故が起こります。博物館などでは展示品に対して「貴重だから渡せないよ」という雰囲気を出しています。警備員を配置したりガラスケースに入れたり厳重な雰囲気を出しています。それはそれで素直な対応なんです。僕が感じる違和感は「潤沢にあるように見せておきながら、実はそうではない」ときです。本当に潤沢にリソースがあるときって、自然と溢れてしまうんですね。だから本当は気前がよくなるはずなんです。

南国に暮らす子どもたちがスキー場で初めて雪を見ておおはしゃぎするように「特別なこと」「特別なもの」は思いっきり楽しみましょう。博物館と同じように「これは貴重だ!」と言ってもいいんです。でも、初めて雪を見る子たちが「別にこんなのたくさん経験したことあるし」という態度で偽っていたらどうでしょう。ちょっとなんか嫌な感じですよね。そんな態度をとっても誰も得しないんですね。ということで、いつも同じような主張になってしまい恐縮なのですが、素直にやっていきましょう!

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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