相手にされない、目立たないというのは非常に大事なんですね。相手にされる、目立つというのは特定の要素のみを切り取って誇張する必要があります。これは抽象化されていないある程度の具体性を必要とします。具体性が出ると敵が増えるんですね。
例えば、「人類は今悪路へと踏み込み始めた」と書かれても「ふーん」という感じで流せるかもしれませんが「港区に住む40代の男性は今悪路へ踏み込み始めた」と書かれると途端に敵が増えます。文字通り港区に住む40代の男性という条件に合致する場合、矛先が自分に向けられているような感じがしてムズムズするはずです。
条件を具体的に絞れば絞るほど三角形の頂点の角度が小さくなり、尖っていき、攻撃性が増していきます。1番攻撃性を持つものは特定の個人宛の言葉です。自分に矛先が向かっていたらそれはそれは心穏やかではいられません。逆に抽象化させて三角形の頂点の角度を大きくし、角をゆるゆるにすると攻撃性は提言します。
今までは穏やかだった人も矛先が自分に向けられていると感じると途端に感情的になったりします。
三角形トゲトゲ戦略に自分でハマる人も
実はこれは矛先を向ける側にも問題があるのですが、受け取る側にも問題があったりすることもよくあります。
例えば、自分が豚骨ラーメン屋さんをしていたとします。この町では唯一の豚骨ラーメン屋さんで、町の人たちは「豚骨ラーメンといえばあなたのお店ですよね!」と言わんばかりに人気を博しました。
しばらくして、同じ町に他の人が豚骨ラーメン屋をオープンさせました。すると、新しい豚骨ラーメン屋さんを勝手に自分に矛先を向けてくる敵が現れたと意識してしまうことがあるのです。
これは具体的であればあるほど起きやすく、「豚骨ラーメン」ではなく「麺類専門店」ぐらいだった角が立たないのですが、自分との類似率が高いほど特異的になり、三角形の頂点が尖り、あたかも自分自身に矛先を向けられているかのように感じてしまうのです。
これは正義感や美意識が強い人ほど意識しやすくて、そのなかでも35-55歳ぐらいの女性ほど「自分に向けられている矛先」に敏感で「白黒はっきりつけなきゃ気が済まない」と意識してしまうようです。(←これが三角形トゲトゲ戦略のひとつです)
寂しがり屋ほど尖らせたくなる
しかし、ぼやけ過ぎるとそれはそれで誰にも刺さらないわけですから、何か文章を書く時はある程度具体性を混ぜながら書いていくわけですが、さじ加減を間違えると不必要に敵が増えていきます。もちろんそれを煽って敵も味方も増やしたいというのであれば構いませんが、マイペースにやりたい人はなるべく話を抽象化させて角を丸くさせて表現したほうが良いかもしれませんね。
抽象化させまくったり、自分しかわからない言葉で書いていると自然と「こいつ何言ってんのかわかんね、頭おかしいやつじゃん」というふうにうまく排除されて相手にされなくなるので、非常に生きやすくなります。
基本的に三角形を尖らせて具体的に書きたい人は「注目してほしい」「みんなから除け者にされたらどうしよう」という寂しがり屋さんなんですよね。たしかに人に注目されるかもしれませんけど、無駄に敵も増やすのでマイペースにやりたい人は自分のペースで素直に表現したらいいと思います。
極端なことを言うと、違う言語で文章を書くようなものですね。何を言っているのかさっぱりわからない。そういうものの方が変なクレームも避けられます。相手にわかるように書いてしまうと、逆に誰でもついてこれてしまうので、不特定多数が入っちゃってノイズと無駄な後処理に時間を割くことになります。
生魚を叩きつける勇気を
食べやすくしてあげることは悪いことじゃないんですけど、離乳食に集まるのはやっぱり赤ちゃんみたいに口をあけて待ってる人だけだし、原材料のまま提供すれば自分で食べられるよう加工しようという積極的な人が出てくるわけです。もちろん対話や何かを説明するときは状況に応じて原材料を加工する必要がありますが、過剰なすり潰し離乳食コンテンツは咀嚼する力が弱い人が集まるので、たまには「人が離れていってもいいや」ぐらいの気持ちで釣りたての生魚を叩きつけてみてもいいかもしれませんね。
タイトルの時点で「えー?目立たなきゃだめなんじゃないの?相手にされなかったらお客さんやファンは減っちゃうじゃん」という人はおそらくこの記事を読んでいないと思うので、読んでくださったあなたは咀嚼するためのアゴがしっかりされているのだと思います。
(離乳食タイトルをつけるとしたら「これなら簡単にあなたも目立てる!注目を集められる!」みたいな感じですかね)
にしけい