教育を語る前にカッコイイ大人になるべき

 

最近、僕のまわりでこんな人たちがいる。

「教育を変えたい」

「今の学校教育の仕組みはダメだ」

 

という教育を変えたいという熱い話をする人たち。

 
よくよく聞いてみると、だいたいの人は今の小中高と進んで大学に進むという日本の教育をダメダと言う。

○○というシステムを導入して平等に学べる社会を構築しないとダメダ

とか

もっと実践的な○○に特化した内容じゃないとダメダ

とにかくダメダ、ダメダ、ナントカセネバ、と鼻息を荒げる。

 

インターネットやらタブレットを使ったシステムを使うべきだとか

 

自分が留学した経験をもとにカリキュラムを変えたいとか

 

彼らの熱弁で耳がヤケドしそうなぐらい。

とてもご立派なお話。

 
でも、なんか聞いてて根本的な解決にならないんじゃないのかなって思うものが多い。

 

うまい料理を出せば食べてくれるのか

 
高専時代に頭が薄くなった先生が言ってた。

「馬を水飲み場まで連れて行くことは出来る。でも水を飲むかは馬次第だ」
そうなんだよね。

まわりがいくら学習できる環境を整えてもそれを学び取ろうと思う気持ちがなければ意味がない。

“ネットを駆使して、いつでもどこでも格安で平等に学べる画期的なシステムで子供達のやる気を刺激します”

うんうん、言いたいことは分かるんだけどね。

でも、僕には

高級な美味しい料理を丁寧に切り分けて、ひとくちサイズにしてとっても食べやすくして

どこでも食べられるよ、なんならナプキンも巻いてあげるし、お口まで運んであげよう

って風にしか思えないんだよね。

そもそも勉強したいように子供たちを刺激する仕組みを作るって、なんかゴキブリホイホイとかネズミ捕りのエサみたいで凄い気味が悪い。

 

 

勝手にやればいい

 

勉強したくない人はどんなに環境を整えてもしないし、勉強したい人はどんな環境でも勉強しようとする。

 

もちろんある程度学ぶことへの経済的、精神的ハードルを除外する必要はあると思う。

 

でも、学び取るかどうか

目の前に出された食べ物を食べるかってその子たちにかかっていると思う。

 

大人たちがすべきこと

 

僕も人のことは言えないんだけど

より子供たちを強く賢く育てたいなら

僕たち大人がカッコよく、楽しそうに生きることが大事なんじゃないかなって思う。

あのオッサンみたいに、自分も頭を使って、自分で考えて楽しそうに生きてみたい。
そのためにはたくさんのことを学ばなければいけない。

子供達にそう思わせるような大人にならなきゃいけないと思う。

 
ダサい大人をやめて、かっこいい大人になる。これが一番の教育になるんじゃないかなと思う。

 

子どもは勝手に育つ。

うまそうに、楽しそうに、ご飯を食べてる様子を見たら、自分ももっといろんなものを食べたいと思うようになるかもしれない。

まずは、大人たちの教育が必要なんじゃないかなと思う。仕事サボって喫茶店で昼寝してる場合じゃないね。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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