前日の静岡入りで苦戦したこともあり、体はボロボロでした。
朝、ホテル前の10cmほどの段差を越えようとしたときにつまづきかけて「段差やめてほしい…」と弱気になっていたので、湖西から浜松市までの20kmを歩くけるか不安でした。
しかし、天気にも恵まれて、歩き始めてみるとメキメキと歩けてしまい、20kmは余裕でクリアしてしまいました。この日の僕はなんか違っていて、足取りが軽かったのです。
足の豆の痛みも弱まり、全身に筋肉がついてきたのか、荷物も軽く感じて、多少のぼりが風に煽られてもびくともしなくなってきました。6日目にしてようやくペースを掴めてきたのかもしれません。
この日は、道中ちょっとずつ景色が変わったのもよかったのかもしれません。
湖西の東側には新居宿(あらいしゅく)旅籠や、関所などが残っていて「東海道感」がとてもある街並みでした。
↓漢字の「門」を体で表現しました。
しばらく歩いていると浜名湖が見えてきました。
この日は天候がよく、キレイに太平洋が見られました。
富山出身者から見ると太平洋の波は日本海とは違っておだやかで優しいイメージです。南国っぽい心地よさがあります。
晴天でヤシの木と海を背景に自撮りしましたが、服装と表情が南国の心地よさとは程遠く、このあたりに日本海男児の冷たさが見え隠れします。
浜名湖を越えると「浜松市」が見えてきました。この日はかなり順調でした。
700メートルほど続く旧東海道(県道49号)も歩きました。
↓実写なのになぜか合成した感が出ている1枚です
多少道が狭くなっているところもありましたが、この日はメキメキと歩くことができました。
この日は真東に20km歩きましたが、やはり日盤だと天象学会の万年暦の日盤(二黒中宮/東九紫)が出ているようにも見えましたが、東洋書院の方の日盤(八白中宮/東六白)の現象も一部出ていました。
20.7km、3.4万歩。昨日に続き20kmペースで歩いています。
歩きながら考えていたのですが、僕はつくづく現場主義・経験主義なのだなーと思いました。
やったことのない推論や条件の違いすぎる情報は全く役に立たないと考えているのです。
今回の旅ではいかに言葉や知識が曖昧で無意味なものかを思い知らされています。
事実のみをフラットに捉える。無駄な知識情報を切り捨てて削ぎ落とす旅でもあるような気がしています。
虚と実があったとして。ここまで「実」を進めている日々は久しく、自分が今までいかに「虚」の世界に傾倒していたのかを思い知らされています。
文字通り地に足をつけることもたまにやらないと、頭でっかちになってしまう。でも思いっきり「実」にいけるのであれば、思いっきり「虚」にも振り切れることができる。そんな気がしています。
「虚」と「実」と言うところで言うと、それっぽい誰かが言ったそれっぽい主張を信じることが一番楽なんですよね。本当に楽すぎて、ありがたすぎてお金まで払いたくなるぐらいです。信じることは「楽になること」につながります。
宗教・教育・道徳・政治といった分野で「それっぽい主張」が盛んに行われています。SNSやネットを検索したらあふれんばかりの「それっぽい情報」が流れてきます。
しかし、結局のところ「個」にとって最適かどうかはその「個」が決めるしかありません。誰かが放った言葉や主張や情報が自分にとって最適かどうか吟味していかなくてはなりません。
で、吟味した結果、「個」に沿わない知識情報を捨てる。つまり「信じない」という選択をした方が楽になれる場合もあります。
この旅では「肉体」をフルに使っているので、「個」を凄まじく感じます。
「個」は「固」です。肉体に固定されている自分を強く実感しています。
もしかするとこの究極の具体的事象を突き詰めていけば、逆に普遍的で抽象的な事象に出会えるかもしれない…という期待もしています。むしろ、それに出会うために今回の旅があるのかもしれません。
ちなみに手相に関していうと、歩き始めてから特定の部分の相が劇的に変わってきています。
これは自分が抽象化を突き詰めていった先に見出した「これかな?」という説を理由づけてくれる現象なので、嬉しい収穫となりました。機会があればこれも授業などでお話していきます。
浜松餃子初めて食べましたが、あっさりしてて美味しかったです。付け合わせのモヤシを食べる配分が下手で最後にモヤシがあまりました。
魚介系スープのラーメンだったのも個人的に好みでした。餃子「むつぎく」さんでいただきました。
明日は浜松から磐田市・袋井市を目指します!
つづく!