「居場所(ホーム)」と「帰還」の効用

ふと、「帰還」という言葉を思いついたので、今日は「帰還」について書いていきます。

帰還というのは、特定の範囲の外に出て、特定の範囲の中にもどってくることを指します。例えば、ちょっと近所のコンビニまで出かける…というのも「家」という特定の範囲を出て戻ってくることを指します。近所のコンビニに出かけて戻ってくる。無事、帰還です。

「家」(ホーム)というのは、特定の範囲を限定することを指します。海外に行って日本に帰ってくるとホッとします。帰国して空港で牛丼やうどんを食べるとホッとします。「家」に帰着していなくても、日本という範囲内に入ると「帰還」した感じになります。先ほどは「家」が特定の範囲だったのが、「日本」が特定の範囲になっているわけですね。

僕は両親が離婚して、実家がなくなりました。物理的にはあるのですが、「実家」と呼べるものがなくなった気がしました。しかし、結局のところ自分を受け入れてくれる人がいる場所があれば、そこは実家になる気がします。つまり、何が言いたいかというと帰る先の「特定の範囲」というのは、けっこうコロコロ変わります。常に変化するんですね。

もちろん、特定の場所(日本とか、◯◯町とか)があれば、それはそれで分かりやすいのですが、特定の場所(ホーム)というのは常に変化します。例えば、恋人と同棲したり、結婚したりすると、実家に帰るときに、「実家に行ってくる」「実家から帰ってこない」という風になるのは、ホームが変化しているからだったりします。

「居場所」というのは、特定の範囲を指していまして、何も物理的なものだけではありません。ネット上やSNS上に居場所を感じる人もいます。そうなってくると、「居場所」というのは空間性や実態性を伴わない概念とも言えます。居場所やホームというのは、自分で「特定の範囲」という風に定義することで、生じます。定義され直すと、またそこが新しい居場所になります。

「自分には居場所がない」と考えている人は、「自分の居場所だと思っている場所」が本来はある場合が多いんです。「自分の居場所はここなのに、ここにはいられない」と考えているわけですから、イメージする「居場所」や「ホーム」は何かしら存在しているんですね。イメージによって特定の範囲を限定しているので、居場所やホームだと認識しているものは何かしら存在するわけです。

それで、この「範囲の限定」がカッチコチに固定されていると、居場所(ホーム)への執着が強くなります。その範囲の限定を強めるものが「家」や「お墓」といった固定度が高い物質になります。家やお墓は単純に「範囲の限定装置」だったりします。それはそれで、安心や安定をもたらすものですし、先人たちの知恵とも言えます。もちろんこの「範囲の限定装置」によって「苦しい」「嫌だ」と思う場合もあると思います。その場合は新たに「範囲の限定」を模索したり、設定し直したりするのもいいでしょう。

先述したように、居場所やホームは「イメージ」です。「範囲の限定」です。この範囲の限定の固定度が強くなると、偏りが大きくなっていきます。「方針が明確になる」とも言い換えることができます。「方針に迷う」という状態は、この範囲の限定の固定度が弱まっているときです。「無数の可能性が生まれているとき」「方針転換が生まれるとき」とも言い換えることができます。

さて、話を「帰還」に帰還させます。

特定の範囲内に戻ることは、範囲の外と内にある何かを融合・統合させることにつながります。コンビニやスーパーで今日食べる食材を買いに行く…というのも、外にある食料を家という特定の範囲内に統合させることになります。外にあるものと内にあるものを統合・同期させることは、「無」と「有」の状態を統合させることになります。

特定の範囲内が「ポテトチップスが無い状態」から、ポテトチップスを買って帰ることで、「ポテトチップスが有る状態」になるわけです。外と内の融合になります。「持ち帰る」というのは、境界性を超越した融合が起きるわけです。例えば、外で初めてのことに遭遇したときに、受け入れられないこともあったりします。それは「自分」という「特定の範囲内」にその出来事を受け入れられない状態だったりします。

そのときに、物理的に「家に帰る」という行為によって、その出来事を特定の範囲内に持ち込むように動くことで、「未知との統合・同期」が進行します。帰還には外と内を統合する作用があり、未知と既知という相反するものを統合することで、新たなものが生まれてきます。賛成と反対を統合するためには、新たなメタ的な視点を必要とするように、未知と既知を統合するには、新たな視座が必要になるわけです。「帰還」には、この効果があります。

それで、何度も言いますが、この「帰還」のために必要となる「特定の範囲」は、特定の物理空間ではなくても成立します。例えば、母親に電話するとか、職場の誰かに話すとか、SNSで投稿するとか、「特定の範囲」に持ち帰ることで、帰還が成立します。

帰還は「統合」のためには必要なので、ただ行きっぱなしというのは統合が行われないんですね。とは言え、自分自身が存在する場所が常に「居場所」と思える人は、この統合や同期がどこでも行えるようになります。僕の場合はこのブログが居場所になりつつありますし、継続することで他の誰かにとっての居場所にもなっているかもしれません。

「帰還」すること。自分の居場所。ホーム。特定の範囲。いずれも柔軟性があったほうが統合や同期も進みやすくなり、「快」である時間が長くなります。今一度、あなたにとっての「帰る場所」を考え直してみてもいいかもしれません。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。著書は50冊以上。三児の父。詳しくはこちらから。

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