【最近のにしけい】人はなぜ同じことを繰り返すのか?「個人」を離れて「勝手にそうなる仕組み」を模索する

最初は手相占いに興味を持ち始めてから占いの研究に没頭し、いろいろ試してきました。やっぱり僕の中の主軸としては「ご相談」があって、様々な人々のお悩みを解決するにはどうしたら良いかということを長い時間考えてきたような気がします。

そんな中で、最近は占いというよりも、「繰り返し」について研究しています。この「繰り返し」というのは「蓄積」につながるわけですが、「蓄積」はうまく取り扱うことができればすごく大きな力にもなりえますが、その人にとって良くないこと(選択肢が減少すること)が蓄積されると、必然的に活動不能に陥ってしまいます。

「あなたはなぜその行動を繰り返すのですか?」と質問されてもうまく答えられる人ってあんまりいなくて、なぜかというと繰り返して「しまう」からなんですね。もう無意識なんですね。 正面から人が歩いてきたらぶつからないように回避する。「繰り返し」も「外界に対する反応」のひとつで、意識に上がらずにやってしまうことがほとんどなわけです。

それで、この繰り返しがいつ頃から起きているのか?どうして起きているのか?ということを突き詰めていくと、家系とか先祖とかそういった自分が発生する要因となった人たちの中に大きなヒントがあります。

 

見える世界からアプローチする

 

それでまぁ、この家系とか先祖とかって言うと、すごく怪しく聞こえる人も多くて。僕もここまで突き詰められていなかったら、「なんかうさんくさい」「スピリチュアルっぽい」と思っていたと思います。なんというか、家系とか系譜を辿ると言うのは本当はシステマチックで淡々としたものなはずなんですけど、追求をやめて思考停止しちゃった人たちが「なんか先祖の霊とか関係あるやろ」という感じで、あやふやで曖昧なものと結びつけて発信しちゃってたりするんですね。

お墓とかも絡んでくるし、仏教や宗教も絡んでくるし、利権やお金儲けの材料にしまくってきた人たちもいるしで、そういった家系とか先祖を辿るという行為が「いかがわしい」「なんか気持ち悪い」「あやしい宗教なの?」といったイメージにつながっている気がします。それはそういう側面もあるかもしれないし、安直にそういった「目に見えない世界」と結びつけるのは簡単かもしれませんが、きちんと「目に見える世界」からもアプローチするべきではないかなと考えています。

 

特定の個人を断じない

 

「なぜその行動を繰り返してしまうのか?」の理由が「個人」にあるのではなくて、もっとマクロ的に見たときにその一族や親類にも類似した傾向があったりします。僕の根っこにはやっぱり、「個人的な誰か1人のせいにする」というのが、性に合わないというか、納得がいかないんですね。

だって、それをやってしまうとただただその人を責めて、切り捨てて、断じるだけで終わってしまうわけです。楽でしょうけれど、そんな単純なことじゃないんです。髪の毛にガムがついたから、その部分をバッサリ切り落としてしまうことは確かに一時的には問題解決になるかもしれませんが、なんかこう「部分の断罪」ってあんまりスマートじゃないというか。特定の個人や集団を切り取るという解決策は抵抗や怨恨みたいなものが生じる可能性が高いんじゃないかなと考えています。

 

相談者の方が自ずと分かるスマートさ

 

たぶん、僕は規則性や共通点に気づくのが好きなのだと思います。なので、家系図を眺めていて「この人とこの人が同じことをしている」とか「ここで同じような流れを繰り返している」といった規則性や共通点が見つかるとすごく面白いんですね。

それで、家系や系譜を辿っていくと何がいいかというと、自分の家の家系図や親戚関係を俯瞰してみたときに、ご相談者の方が自分で「あ、私も同じことを繰り返していますね」と勝手に気づいてくれることなんです。これがすごい大事なんですよ。

僕、本当に「導く」という言葉が大嫌いで。おこがましいなという気もするし、「あなたを導きます」とか言われたら「なんであなたに決められなきゃいけないんですか?あなたは誰ですか?」と、すごくムカついてしまうんですね。笑

何が嫌かと言うと、「あなたを導きます」という言葉って、それを言っている人の介入度が高いんですよ。依存させたい・貢献したいというエゴが入っているわけです。その人の人生に自分も入り込んで、あなたの中で大きな存在になりますよ、みたいなおこがましさを感じてしまうんですね。だって、依存するのもさせるのも嫌じゃないですか。

その瞬間だけ、そっと触れ合うことはあっても、不必要に絡み合うのって不自然なんですよね。占い師はその人の人生の外にいて、呼ばれたら玄関先で立ち話をするぐらいの接し方でいいと思うんですよ。その人の人生の中に不必要に入り込んだり、入り浸ったりするのって、エゴなんですね。その人の人生をダイジェスト映像で流したときに、僕はその映像には映り込みたくないんですね。

あとは上下関係っぽいものが出来ちゃうのが嫌なのかもしれないです。あくまで対等にフラットに接したいのに、「導く側」と「導かれる側」という関係性を構築しようとするのが嫌なのかもしれないです。権威性みたいなものが嫌なのかもしれません。

こればかりは僕の性分なので、「導く」と言う言葉を使う人や「導いて欲しい」という人を否定しているわけではありません。自分が言われたら嫌だなと思うだけです。

それで、そういった背景があるので、相談者の方が自分で「わかる」「気づく」ことが出来るのが一番美しいなと思っていて。家系図や系譜を辿っていく作業をしていただくと、相談者の方やご家族の方が、ご自身で「大きな繰り返しのサイクルの中にいること」に気づかれるんですね。

最近はこの瞬間が一番嬉しいかもしれないです。僕からの言葉は要らないんですね。分かろうとする、分からせようとするという意図はノイズだと思っていて、「分かる」というのが自然で美しい形なんじゃないかなと思うんです。僕はその「分かる瞬間」に立ち会うためのきっかけぐらいの存在なんですね。

 

「そうなる仕組み」を理解する

 

冒頭にもお伝えしたように、「繰り返し」による「蓄積」の力って大きいんです。家系や系譜をたどることは、この「個人の繰り返しの傾向」を知る際の1つのツールであり、「個人」を少し離れたところから観察する近巨視的なアプローチと言えます。

家系・墓相を占い的な観点から見ると、冒頭に挙げたような霊的(スピリチュアル的)な本や、特定の思考に偏った高圧的な本が多いので、もうとっくの昔にこれらは卒業していまして、最近は家系や墓相の思索を進める際は、行動科学・進化心理学・文化人類学・生物学・生態学・環境学といった分野の資料をあたることが多いです。

また、先月から系譜読術講座を開講したのですが、開講してみてよかったなと思っています。僕が頭の中で家系の規則性や共通点を見つける際に無意識的に行っている思考処理に使う「要素」を書き出す作業をしているのですが、思った以上に多くのファクターを同時に処理しているんだなと気づくことができました。

これをAIやテクノロジーを用いて再現できれば、情報を入力しただけで「家系から分かる繰り返してしまいやすい傾向」が誰でも簡単に分かる時代が来るんじゃないかなと考えています。そういったことができるようになれば、霊的・スピリチュアル的な観点から先祖や家系を論じている人たちの言説の真偽もはっきりするのではないかなと考えています。本当に見えている人と見えていない人の答え合わせができるかもしれません。

まぁそんなことよりも、相談者の方が「勝手に繰り返しやすい傾向」に気づいて、それをどう活用していくか…ということに寄与できればいいなと考えています。巨視的な仕組みや体系を使って、自然と「そうなる」ように。凝集パワーを使ういわゆる「占う」という行為は「本当に使うべきタイミングが来たとき」だけでよくて、7-8割ぐらいは本人が勝手に気づいて勝手に心地よい状態に転換できると考えています。僕は「サイクルの理解」と「システム構築」を助けるためのツールを開発することが、最近の課題のような気がしています。

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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