「違いが分かる」うちはまだまだなのかもしれない

僕はこれまでに「違いが分かること」を推奨してきましたが、ここ最近「違いが分かる」という状態はまだまだ修行が足りない状態なのではないかと考えるようになりました。

違いを分かろうとして、近づきすぎると見えなくなります。

反対に、特定の現象や場から離れていくと、「同じように見える」ようになっていきます。

離れたほうが違いが分かりますが、さらに離れていくとだいたい同じように見える点が出てきます。

「違うことは違うけれど、だいたい同じだよな。誤差だよな」という感覚になっていきます。

違いを知覚して、その違いをより明確にしようとする行為は、まだ執着のようなものが残っているような気がします。

なぜ、人は近づきたくなるのか。それは寂しいからだと思います。

にしけい

▶︎ブログ記事一覧へ

関連記事

書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

無料メルマガを読んでくださっている方の手相を解説する企画です。まずは1000人の手相を解説します。Youtube手相談室で解説しています。

月に1〜2回ゆるっと配信しています。お知らせや占いに関するトピックを書いています。

記事カテゴリーで検索

 
お買い物カゴ
上部へスクロール