どうやったら大人になれるのか、そもそも大人とは何なのか、どちらも全くわかりません。
中国語では「大人」と書いて、「たいじん」と読み「地位高的人的尊敬的称呼用语」ということなのですが、そっちの大人にも程遠い気がします。
「大きい」という漢字には「より分割されていない状態」という意味がありますので、より大きなものと一体化できるともしかしたら「大人」なのかもしれません。学校とか、社会とか、組織とか、国家とか、宇宙とか。そういったものと一体化して、溶け込むことができれば「大きな人」なのかもしれません。
となってくると、「大人」というのは「程度」があるのかもしれません。ピザのサイズのように「S大人」「M大人」「L大人」といった具合に段階的なものなのかもしれませんが、それなら「小人」「中人」「大人」「大大人」のほうが分かりやすいですよね。
さて、表記の話はどうでもよくて…。
小学生のころ、イシニワくんとよくバッタやカマキリを捕まえに学校裏の草むらを駆け回っていました。
マサキくんとは常願寺川で小さな魚を獲ったりもしましたし、ナカダくんには朝起こしてもらい一緒にアジを釣りに出かけたりもしました。
小学生のころからアミをもって何かを追いかけていたのですが、それは今も変わっていないような気がしています。追いかけているものが虫や生き物ではなく、別のものに変わっただけで、常に何かを追いかけているような気がします。
捕まえようとする対象が変わっていったわけですが、気がついたら人里離れた辺鄙なところに辿り着いてしまっていたようで、ときどき「にしけいは遠くへ行ってしまった」「手が届かない存在になってしまった」といった感想を述べられるのです。
しかし、僕はここにいますし、冒頭に申し上げましたように、いまだにアミを握りしめて何かを追いかけ回している小人のままなんですね。小学生の頃となんら変わっていないのです。ただ、追いかけるものが変わっただけなんです。
先日、アプリで知り合った中東に住む男性とアニメの話で盛り上がっていました。彼は40-50代でしょうか。現地の大手企業でディヴェロッパーマーケティングセールスなんとかマネージャーをやっているらしく、おそらく社会的に見たら「大人(たいじん)」いや、「XL大大人」ぐらいだと思います。
そんな彼でも「その役割を演じているだけで、自分が大人だとは思えないよ」というようなことを言っていたので、おそらくですね、「精神的な成熟」という意味でも「立派な人」という意味でも「大人」になっているオトナはほぼいないのではないでしょうか。
僕思うんですけど、案外「オトナのフリ」をしている人たちばっかりなんじゃないかって。
これを読んでいるあなたも、オトナみたいな顔をして普段は過ごしているかもしれませんが、実際は少年少女時代から大して変わっていないし、未熟でヤングでショタでロリでナウい中身をしているんじゃないかって。
立場とか世間体とか見栄とかを気にして、大人ぶってても、結局のところみんな同じように子供のころと大して変わっていないと思うんですよ。そりゃ腰が痛くなったり、目が見えにくくなったり、徹夜がキツくなってきたり、体力的な衰えはあると思いますし、社会的な立場は変わってきますよ。
でも、フタをあけてみると、たぶんそんな大きな差がなく、みんな中身が小学生か中学1年ぐらいで止まっているんじゃないかなーと思うんですね。(僕が思いたいだけかもしれませんけど)
こうやって「実はみんなそこまで変わんないんじゃね?」「線引きしなくていいんじゃね?」と思えるようになって「大きな一体感」の中に溶け込むことが「大人」なのであれば、もしかして「子供のまま」でいるほうが大人なのかもしれません。
僕がそう思いたいだけかもしれないんですけど、僕も含めて意外とみんな中身が半熟卵のとろーりチャイルドなのではないかと思うんですよね。組織や立場など溶け込み先は違っても、実はみんな同じようにとろーりチャイルドなんだなということがわかれば、それだけで「人」という大きなグループに溶け込める気がするんですよね。みんなでUNOとかオセロをして一緒に遊べばいいし、きっと遊べるはずなんですよ。
にしけい