作り直さなくていいってのに作り直しちゃう

ここ2週間は講座のテキスト作り週間で、卒研発表の前みたいに何回か徹夜したりして、大変でしたがやり切った感があります。

毎回思うんですけど、講座のテキストって別に使い回そうと思えば使いまわせるし、たぶんほとんどの人が一回作ったテキストを使い回してるんじゃないかなと思うんですね。だって、そっちのほうが楽じゃないっすか。

でも、前のテキストを見ると作り直したいエネルギーが湧いてきて、ついつい手を加えたくなってしまうんですね。自分の中で「もうそれじゃないでしょ」ってものを提供するのって、カラカラに萎びた寿司を提供するような寿司屋のような気がして。なんか手抜きというか、嘘をついたものを提供してる感じがするんですね。だから、作り直す必要はないのかもしれないんですけど、結局作り直すんですね。作り直してしまうんですね。あとは自分を破壊するのが好きなんだと思います。

でも、徹夜したり、没頭して作業できることってたぶん好きなことなんだと思います。なかなか好きじゃないことでは徹夜しようと思えないし、精神面がついていかないので、たぶんこの作業が好きなんだと思います。意味があるかと言われたらわかんないですけど、自分が作り直したテキストで話をするのが好きなんだと思います。

それで、ここ最近なのですが、もしかしたら「中身が100%伝わっていなくても、楽しそうにやっていることが伝わるほうが大事なんじゃないか」という考えが浮かんできまして。

たぶん、このブログを読んでくださっている方々も「は?今回の記事、マジで意味不明」というときもあると思うんですよ。メルマガもわりと好き勝手書いているので、理解できないしムカつくと思うときもあると思うんですよ。

でも、なんかこう「ちゃんと伝わったか」とか「100%同意できるか」とかって、別にどうでもいいんじゃないかなって思うようになってきました。僕が勝手に何かに夢中になって、楽しんでいる、そういう求心力のようなものに面白さがというか魅力があるんじゃないかと思うんですね。

これは自分に求心力や魅力があるなぁと実感したという自意識過剰エンジェルになっているというわけではなく、専門家の方やマニアックな話を聞いていると、全ては理解できなくても「なんか、引き込まれる」ということがよくあって。たぶん人って「話の中身」よりも「姿勢」みたいなものに引き込まれるんじゃないかなーと思ったからです。(もちろん、話の中身も大事なんですけど、集中力がもつ求心力みたいなものがあるよねって話です)

虫かごの中を夢中に眺めている少年がいたとして、その少年の集中力に引き込まれるというか。虫かごと少年が作り出す場に求心力があるから、そこには言葉は不要なんです。だから、言葉ではなく「なんか夢中になってるな」ということが伝われば、それがエンターテイメントだったり、人を魅了するものになりうると思うんですね。

そう考えると、全てのコンテンツは実はノンバーバルコミュニケーションなんじゃないか…とさえ思えてきます。言葉じゃない。求心力とか集中力なんじゃないかなと。

だから、何かをアウトプットしようと考えている人は、上手さとか精度よりもまずは「伝えたい!」ということを素直にやってみてもいいのかなと思います。もちろんそういうテクニカルなことを求められる場面はあるかもしれませんけど、人間がもつ「集中力」が一番の求心力や魅力になるんじゃないかなと思います。

とりあえず、久しぶりにゆっくり寝ます!!

にしけい

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書いている

西田 圭一郎 (にしけい)

1987年富山市生まれ。化学系工学修士。商社の開発営業職を辞めて、占いとWeb開発などを生業にしています。趣味は読書と旅とポケモン。文章を書くことが好きです。三児の父。詳しくはこちらから。

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